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Ritorno vincitor

 こうやって一回行ったイタリアを10年でも20年でも語るという、いや、もうここからは半年にいっぺん行くのでまだマシな伝聞になるとは思うが、一回5年くらいとことん勉強した後に、それでも一年にいっぺんくらい行くというのでないととても何かを習得できないだろうと思う。

変な伝聞を伝えないように頑張りたい。

ミラノにある「アジア料理店」では「巻き寿司」「焼きそば」などなど日本語になっているいろいろなものを売っていたが、ちょっとどこでどう伝わったか変な形状と変なお味であった。

スシ、ったっていろいろじゃないですか、国内でも。ましてそれが海外にきちんと伝わるとは到底思えないわけですよ。ネタだって調達できるのかできないのか。「独自」になっちゃうけど、食べる人がいいならいい、という感じか

ま、なんか頭声発声になってれば「声楽」というのは飯と生魚がくっついてればスシ、くらいな勢い。

みんないろーんな発声の「お店」を開いてるが、なるべくイタリアに近づけようという考えですが、国内の寿司屋がいろいろなようにイタリア人の先生なら皆素晴らしいというわけでもない。

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 できたら10分くらい黄泉の世界から戻ってきて(すぐ帰ってくれていいので)ほしい人はみんな何人かいるでしょう。当たり前に父母、お父さんには30秒くらい感謝の辞を伝えた後で、今後、大したこともないけど私はほとんど親の遺した家屋敷預貯金等を手付かずで持ってるので、それの配分についてどういう方法があるのかと考えを聞きたいです。母親には3分くらい謝辞を述べた後、ちょっとお茶でもしたら帰ってもらっていいや。

あと1人許されるなら、「秦 志郎」ハタシロウ、先生かな。

私が今やっとうたえる感じになってきた大元,秦先生の指導にあったと思いますね。

大体私は「音痴」の烙印を早ーくから押されてる子どもで、もうほんと、先生たちって不勉強で、カテゴリーからちょっとずれたものを排斥するくらいの知見しかないんだから、ピアノは3歳からやってるんだが、そこでやってたソルフェージュで「音痴」と言われてそれっきりなのである。

声が低いので、頭声に持っていく技術を教わらないことには「人並み」にうたえなかったのである。そういう子供を何人か教えたが、皆学校で不当に音痴と言われ、親御さんが悩んで来られるが、本当に音痴ということもあるが、私はそれを直せる自信もあるのだが、声が低くて文部省の決めてる音域に合わないということだけなケースも多い。

文部省の決めてる教科書で歌わせる音域は戦後変わっていないのでは?今の子供の声は大体低い。外で遊ぶのが減ったからだと言われているが、そうかも知れないし。

うちに来る小学生の生徒に「泥棒と刑事」やったことがあるかと聞いたら一回だけあると言ってたが、私はこれをやるために小学校の後半は放課後全ての時間を捧げたと言って過言でない。学校の校庭開放が4時で終わると、そこから神田公園へ行って7時までやるのである。あとは帰って寝る。

こういうことやってた小学生が「健全」で「子供らしい」と聞こえるかもしれないが、その後を見てほしい。勉強習慣がつかなかったおかげで、どこの試験も落ちるし、勉強するという基本がないので、イタリア語等、5分もやってると寝落ちてしまう。夜あんなに眠れないのに不思議である。子どもは人間の子どもだから「人間の大人」になるに勉強は絶対必要だと思う。

しかし「ドロケイ」から学んだこととは(別にその後なんの役に立っているわけでもないが)「泥棒の仲間」を助ける義侠心とそれを行使する時に湧き上がる「正義感」である。これは人間に元来備わったものであるか、戦争をしている人たちもこの「興奮」の渦中にあるのかもしれない、と思ったりする。

消防士で現場で働いてたが、大学出てたから40過ぎたら管理職になっちゃってつまんなくて生きる甲斐を見出しにくくなってうたを習いにきた人がいた。火事だと聞いて3分で出動し、現場到着までにどういう手順で救助に行くか計画を練り、さて突入、となったときにもう火など怖くないそうである。それ面白かったですか? 面白いに決まってるじゃないですか!

そうよ。「人を助けにいく」という行為の興奮と甘美。

ハタシロウだった。

 秦志郎先生について書こうと思ったのは、先生が出している唯一の自費出版なCDを聴いてたら、ほんと涙が出るほど「正しい」と思ったからだ。

 この話は前にも書いたと思うが、先生は北海道教育大学3年の時、のちに奥様となられる方と出会い(どこで出会ったか聞いてないが)一目惚れ、卒業したら結婚したいと奥さんの実家に行ったら、何処の馬の骨だかわかんないやつなんかに娘はやれない、娘は武蔵野音大のピアノ科を出ています!とけんもほろろにされ、そこで彼はそこから「おんがく」を始め、芸大の声楽に合格、その後国費留学はイタリア、晴れて奥さん同伴でというオペラみたいな話なんだが、すごいなあ、もうその邪(ヨコシマ)な情熱を正当な道に持ってくパワーが・・。明治から戦前(って大きすぎるタームだが)まあみんなほんとにやるとなったらやるよね。「私たち」などへなちょこにしか見えないだろう。

 そんなわけで秦先生は当時のドイツ至上主義のアカデミズム声楽から少し離れたところにおられたと思う。門下でも少し「先」行きたい生徒は内緒で他の先生についてた。

 私は大学に入る前、冬季講習の時に偶然先生の門下になったのだが、二度目のレッスンの時に「声楽科と併願しろ」と言われ、かなり戸惑った。というのも当時受験に当たりついてた声楽の先生に私は毎度ひどく呆れられ(こういう先生いるよね。生徒でパワハラしてるセンセ。声楽家で食べらない腹いせなのか、自分の才能をあんたごときに売ってるコトに対しての腹いせなのか、教える業を甘く見てもらっては困る、教えられないと思うなら教える業はやめた方がいい)はああ?と言われたが、この人は私が当時尚美学園で行われた「音大模試」の声楽の実技で2曲ともAだったのだが(私は初めて人前でうたったうたが高評価ですごく意外な上に嬉しかったのだが)

こんなうたでAつけられちゃ困るのよね

と言ったのである。

まあ、小さい頃から、今思えば「不当」に音痴と言われ、いざ音大を受けるに際して(ピアノをもう少しマシにしたくて行こうと思った。ピアノ科は無理だというから音楽教育を受けることにしたら声楽が受験科目にあったというだけのことであり、私はうたをちゃんとやろうなどとは思っておらず、受験を通るだけの誤魔化し方を習いにいくくらいにしか思っていなかったのだが、そこでもまたネチネチいじめられるという悲惨さ)

教育者がどうしょうもなくて、また出会うチャンスもなくて「本来の能力」が発揮できずに死んでいく人だらけなんだろう、と思う。片手間で教える業をやらないでほしい。そして教えてる人は勉強を怠ってはダメだね。

もしかしてここで少しは役立ってる「ドロケイ」の義侠心・・。うた難民を救出せよ!

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なんか話長くて終わらないが。今日は当教室の生徒で優秀な歯科医のもとに9時から行ってて、帰り武蔵境駅近くの「椿屋」に入ってるのだが、ここは「お代わり自由」ではなく「お代わり半額」である。雰囲気は「コメダ」よりはいいか。

そう、その秦先生はイタリア留学で教わったことをそのまま教えてたんだと今になると思う。CD聞いて思うが、明るいイタリアのベルカントである。これも最近わかったんであるが、私は息の吸い方を限定しすぎていたと思う。秦先生は何も言わなかったが、勝手に吸ってたその吸い方でよかったのだ。息なんかどこで吸ってもいい、最終的には。

 音痴、と言われ続けたことはやはり私のうたへの何かを「閉じて」しまったので、これを開いてくれたのは秦先生だし、そう、イタリアのベルカントはおおらかな発声なのだ。

毎度レッスンは「誰かの真似でアリアをうたう」というだけのもので、例えば

カラスでトスカ、カバリエでパーチェ、もう書いてて恥ずかしいが、それでもこちらは大真面目で何か「真似」て、それを先生は、うまいぞ!ホウツキ!みたいな感じで褒めてくれるのである。先生はピアノが弾けないので、開始音だけであるが、イタリアはピアニストがいなければ普通そうである。

日本の学校などの音楽教育では頭声があるというか、頭鳴る感じの子が「うまい子」と言われているだけなんだと思う。その一軍が自信もって「声楽」を志すから、なんとなく「薄い感じのお声集団」になっているのかもしれないと思う。童謡唱歌などうたうに最適だが、オペラってもっとどぎつい表現手段だから頭も体も使わねば、だし、そういう頭声お利口集団(お利口な子が多いイメージ、嫉妬かもしれないが)が計り知れないディオニュソス的要素がオペラあるいはその発声の中にはある。

 そろそろドロケイでお迎えが来たか?私の声を「救出」する時が来たのだと思う。長くかかったなあ。

 あなたの声があなたのうちに帰ってきたようよ、というバルバラ先生の声と、ハタシロウ先生のうまいぞ、ホウツキ!の声を励みにここからのうた人生を歩いていくとします。

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