ブログというのは、論文じゃないので毎日ちょこちょことその日の身辺雑記を記するものであり、そういう事が下手な私である。
女はもともと身辺雑記で生きてるのか、しゃべらせればどこまでも細々した日常の話を永遠に続けられる生き物のようで、風呂屋に行けば、女湯はばあさんのしゃべり場になっているが、男湯は静かである。人がいなかったのかと聞くと結構いたりするんである。
必要なことだけしかしゃべらない、というのは潔い態度だが、自動記述のような手法で、一見関係ないことを全て思いつくままに語らせたあとにそこから「真実」を掬っていく方が云っていることの確信に迫る確度は上がるのかもしれない。
風呂屋のばあさんの「真実」なんかどうでもいいといえばどうでもいいが・・・
良く見かけるのは風呂屋のテレビで流れている情報のデマゴギー伝達である。
熊に襲われ3人が重傷、
を「みんな死んだ」などとその場で聞き違え熊は怖いなどと云いあっているが、選挙権もあるだろうに、この風呂屋における情報操作はたやすいであろう。
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もう教室始めて7年くらいになるはずですが、いろいろな媒体に情報を流すことを広告というが、どこの会社に広告を出してもらうかで「来る人の層」が変わるわけだが、
その「操作」についてはみんなが研究してるんだろろう(いやらしいんだよ、ターゲットとか云うなよ)
研究対象にすっぽり言い当てられないように「複雑」でいたいのが人間だが、見事に年収程度の、学歴程度の、地域程度のそんな「情報」通りだったりするからため息である、
だからこそ頭と言葉とうたを鍛えようではないか、と石垣りん、のような「革命」を唱える。
革命は孤独です
ゆとりレンジャーとかいう(正式名称かわからんが)お笑いがいるらしく(子どもからの又聞き)まず決まった時間に遅れて来る、ってところから面白いが、本当に自分を生かした仕事じゃないからやめるっす、見たいな事を云って自分探しの旅に出る、というのがさらに面白い。
教室を「スクールさん」と呼ぶような会社に広告を頼んだら、ゆとりレンジャーが何人か来たのには驚きもしないが、面白かった。
みんな「ミュージカル」志向である。たいてい激しく地声発声でやってくる。それで結論から言うとそれは「直せない」
直せない理由は「違いがわからない」からにつきる、
普通にOLでもやりな、という意見が一番彼女達を激怒させるので意地悪でちょっと云ってみたりする
でも最近ミュージカル好きな生徒が、これはあまりにひどいですから先生見てください、という事で借りたDVD「ひめゆり」だが、それほどひどいとは思わなかった。意欲作らしいが。
なれるかなれないか、なんてことはとりあえず置いて「目指す」があるんだが、
私も目指すはグルベローヴァなんだから放っておいてほしい、
教室をスクールさんと呼ぶような人々の「目標」をバカにしてはいけないが、笑える。
敵を倒すなら奴等の「神」を打て、と太宰は云ったが、いい事いうデスね、打てというより笑えです
エクザイルをリスペクトしている人を笑う、見たいな感じっすね
でも笑われるのがいやだからとといって「神」を持たないのも持ってないふりをするのも好かんですね。
みっともない神を崇め奉ってください。そんな私でもあり、そんなあなたを応援する教室です(宣伝)
笑うなら笑え、です。
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センター試験はまたも配布凡ミスがたくさんだったが、息子の受けた同日開催センター試験は東進ハイスクールがやっていたが、各会場に何の配布ミスもなく、読みきれない分析データすら送ってきてくれました。来年から東進ハイスクールに任せるといいと思います。
またも公務員問題。やつらの神は誰なんだ?安泰とか安寧とか日和見とか思いつくけど、そうなのかな?
神が不在なのかも、何も信じてない不気味さが彼らにはあるよね。死んでるのかもしれない、いや死ぬように生きてたいと願ってるのかもしれない、それ怖いよねー。