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ほんとうのうたがうたいたい

 からだから講座を開いているのは、声楽でよく言われるところの「体幹」を私自身よくわかっていない(自分なりにはできているつもりでいるが)よくわかっていない証拠によく教えられないから、もうこういうことは外注するのである。

 先週第一回目だったが、講師の平山先生の教え方とか体に対する感性が素晴らしいと思う。そして、やはり声楽をやろう、というような人はそんなに体幹がわからんちんなこともないのだな、と思った。皆それなりに良いのである。特に何かスポーツをやっているわけでもないだろうから、これは「声楽」をやることで得たもの、あるいは声楽をやろうとしているうちに獲得しようとしているからだのセンスなんだと思った。

 平山先生は介護度を下げてしまうという人だが、助手で来ていた、80くらい?の人は小児麻痺で歩けなかったというが、2年間先生の指導を受け、家でも毎日1時間その体操をやっているうちに、歩けるどころかなんという姿勢と持久力と、いや、なんか奇跡の人なのであった。

 こういういい人脈と巡り会えるのは私の人徳だが(いやあ、照れるなあ)もうこうなったら、みんなが私の声楽の指導なり、人脈なりなんなりを使って、たった100年にも満たない人生(それもなんで始まったかなんで終わるかも何もわからない)が少しでも良くなればさ。うちきっかけで仕事変わった人、結婚した人(2組)、引越した人などなど。仕事変わったがいいか、結婚したがいいか引っ越したがいいかは別として、変わるということはいいことだと信じる。

変化は変化ではない。その人がその人でいるために  デビッド・ボウイ

 いいひとと会えるかにだいたいの人生はかかっていて、まあ初めに会うのは親だから、それがダメだといきなりボン、である。そういう割り振りは生まれる前にセンター試験でもあったなら許せるが、あまりに不平等である。

 次回の割り振りがあるなら、現生よかった人は戦々恐々であろうし、悪かった人は次回にかけるだろうし、黒人霊歌は全て次回向こうに行ったら、という話になっている。泣ける。

 年収300マンの家と1000マンの家じゃ、囲んだ鍋の内容が違うだろう、などということはこの際微細な差異である。鍋が囲めるだけで幸せ。

 爆弾が頭から降ってくることも地域によったらあるだろうし、鍋など作らない親もいるだろう。最近格差社会の本を2冊読んだ上に、「砂に埋もれる犬」桐野夏生 も読んだ。

 大したこともできないのなら、子ども食堂に募金でもするのがいいのだが、たまたま生徒さんの関わっているNPOを紹介されて、そのような子供たちにうたを教えることになりそうである。ボラではないところに興味を惹かれた。

 「頭声発声」を教えたいと思う。

それは手っ取り早い自己拡大だからである。

自分を1として、それ以下に自分を見積もっているかそれ以上に見積もっているか、というのは極めて恣意的で、客観性は無いとはいえ、生まれた時からお手伝いさんのいるような環境で幼稚舎から慶應というようなこどもと、朝から母親の彼氏にこずかれているようなこどもだったらその自分の見積もりと言うのはずいぶん違ってしまうのではないか。

 自分が自分で1、であるとして、それを少しでも拡張したいのなら、例えば、強くなろう、と体を鍛えること、あるいは勉強というのもあるし、金というのもあるし、それもこれも自己拡張手段である。可愛いところで、いい車に乗る、高い時計を買う、いい家に住む、でかい犬を買う、などでも結構満たされるんらそれはそれで、それは「金」の見える化。努力でどうにかなるならそうしたらいいけど(それも参考書も買えないようなハンデキャップの中でやるんだから大変。慶應幼稚舎はバカでも上までいける、普通)

 その生まれた場所ギャップをなんとかしようと考え抜いている代表とズームで話をした。

声、というツールは人を解放する。そして拡張することも出来る。例えば「頭声発声」という誰でもできる「大きな声を出すやり方」は、3000人に声を聞かせることができる。それでいくつかの音を繋げてみる(旋律というが)それをうたと呼ぶが、ぜひそんなことをやってみてほしいと思うのである。楽器とか買わないでできる、どこでもできる(家でやっててパトカーを呼ばれちゃった生徒がいるが、そのくらいに響くということです)

 私がそうだ。虐待こそされてなかったが、勉強はできないし、モテないし、何より頭の中で考えていることは誰にも理解されない自信があった、その違和感は人と同じではないという孤独感、それは青春特有のものだろうが、何をやっても続かないし、それらは私を1以下に見積もらせていたと思う。学校もなんか違和感、結婚して見たけど違和感、子供作って見たけど違和感、何かが違うし、何かが足りないし、いったい私は何がしたいんだろう?

 うたで抜けた。それも劣等感の人一倍強かった「うた」で。

オペラはろくでもない輩ばかりが登場人物の劇なのである、腹の底から全身全霊で、表面だけではない声が求められるわけだが、そういうのいいよね。このろくでもない不平等な世の中で正しくグレてしまう愛すべき人物たちへの哀歌。理解するって「その体」になることだ。

本当のうたがうたいたい。

 

 

 

 

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