昨日は合唱祭だったのだ。もうこの年一回文京区シビック大ホールに出演できるチャンスをものして20年くらい経っているのではないだろうか?
今年は私がやっているコーラス2団体のうち、金曜コーラスはクジで落ちたので、コールドルチェ・文京のみの出演。
ドルチェは本郷小PTAコーラスが母体である。サークル化してすでに15年くらいでは。メンバーもいろいろ変遷はあったが、変わらない人たちがいて、今年入った人もいるし。
あらゆるしがらみと依存をやめて一人で自分の声を出しましょう、という会です。
いわゆる主婦合唱(有職者ももちろんおるが)であり、こんな主婦こき下ろしているブログみて入ってくれてありがとう。
いや、こき下ろしているわけではなく、私は全てを良く知って死にたいと思っているだけなのです。自分の生きてきた時代、立場、そうするしかなかった理由、そうなってしまった理由、そうしたい理由、そうならない理由。
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7分の本番に対して4時間の飲み会だもんなあ。でも昨日はうどん食べてから飲んだので、二日酔いにならず、今日は10時から亀戸のピアノの先生にピアノを習いに行く日なので、もう脳天に響くようなパシティーク一楽章をですね下手くそに弾いてきたところです。先生はにもかかわらず細かい所まできちんと丁寧にご指導していただき恐縮です。こんな情けない感じでも習いに行くと行かないでは全然違う。私は今更ピアノの弾き方の多くを「最近」学んだが、ろくでもないクセが多いのも良くわかった。
そう、私は「時代」ということを考え続けている。
誰でもが、その時代に生きるのであり、もちろんなにも選べない中でさらにそれは人を拘束するものだが、せめてそれがなんだったのか知りたいのである。
むりむりこじつければうたもピアノも同じで、どうしてこうも「本当」に近づけないのかということを、自分の不自由な体や頭を少しでも「矯正」して、「真実」らしきものを獲得したいという・・
そんなこと考える頭自体父親の影響であるのは明白で、真実を知れ!とかばっかり言ってた奴は、結局なにをもわからず、いろいろやり散らかして死んじまったが、直弟子で一番影響を受けたのは私だと思うが、金とかそういう物質社会など低次元なことを考えるな、とか言ってたが、定期買ってるのに、なんでキセルしないんだ!とか小学生の私を叱ったりする、万引き家族じゃないんだからさ、なにがあったのか国鉄というものに恨みがあり、地下鉄の定期券で国鉄乗ってやったがははははとかいうのが自慢であった。
変わった人だった。家も貰っちゃったし、私は完全に今でもこの父親の遺産の中で暮らしている結局自立できなかった人間である。ジェンダーだなんだと言っても結局そこ。
夫婦別姓もいいが、結局は元の姓とは父親の姓ではないか。
佐藤と伊藤と後藤と田中などどれ名乗ってもどうでもいいような気がするが。そんな記号にアイデンティティを置かないでさ。せっかくマイナンバーカードとか作ったんだから、戸籍もやめて税金も個人で払い、氏名も「あ−2398」とかでいいではないか。
別姓どうのという人も結局「家族」なんである。人は一人で生まれて一人で死んでいくのである。それ以上でも以下でもない。
そんな中さ、
3号被保険者などというズルを許してるのか、それは女の自立を阻んでいる悪法である!!
息子「いやいやお母さん、国というものは一番統制しやすいものにインセンティブを常に与えるものなのですよ。はずれものばかりでは統治しにくいではないですか」
上級国民の言うことはもっともだがな。国とは嫌なものである。それは家族というものが嫌なものであることとリンクしているわけです。家族、という欺瞞はそこよそこ。
全ての嘘を暴き本当を知ることだ!という父親のメッセージは深く私に刻まれているに違いないが、戦時中お国のために特攻に志願したのに、計算兵にさせられ、それも3ヶ月で終戦、日本国のために死して散ろうとした青春はさて「祭り」が終わり、はいはい、さっさとどいてください、次は民主主義祭りですからね、ということになった。長男だったから継ぐ予定のほうつき商店も第2封鎖までかけられ潰されてしまったが、神楽坂の土地はなぜか旺文社に乗っ取られてしまったが、戦後ゴタゴタの何故何故はいっぱいあっただろう。
理不尽を人は知ろうとする。せめて頭で理解すること以外にどういうレジスタンスがあるだろう。
わたしは流石にスケールがみみっちい感じではあるが、わたしが作ってきた家族、家族を作らなければいけないというような圧力、はずれてはいけないという圧力、普通が一番というフツウというものの実態、そんなものの実態を知りたいと思っている。
その「抑圧」___、無重力などということがない限りなんかのGはかかっているんですからね。でもその実態とそこから導ける法則と真実を「知る」ことはできるだろう。
家族の幸福は諸悪の元と70年も前に言ってた太宰って偉い。「イエ」から見える青空と欺瞞の雲、今にも雨でも降りそうです。でも傘をさしてでも外に出よう。嘘は嘘として嘘をつくことなしに大きな声でうたっていこうではないか
そんなことしかできないが、そんなことはできるんだと私たちは尚もうたうのである。