最近は練習が楽しくなっているのだが、「自分の声」でうたうことを自分に許可したという感じかな。
自然体でいいんだおばさん、か?
楽に生きようとか好きに生きようとかうるさいが、自然体で好きにやってた果てに自然体の発見などできるわけないだろバカ、とか思うわけだが。
さんざん苦しんだ挙句にやってくるものが歓喜だ、というと第9みたいだが。苦しんだというか、コツコツやったというか、色々工夫したというか、声なんか簡単に出せるわけだが「自分の声」にたどり着くのはそんなに簡単ではない。さらにそれを持続するのもそれほど簡単ではない。
こんな抽象的なこと毎日セコセコやってても、じゃそれで何になるんですか?と言われたら別に何にもならないので、そこに「価値」を見出せないなら積立てNISAでもやってればいいさ・・。
がしかし
とことん追求する人生は素晴らしいと思っているんですが、それほどの才能もないなら、積立方式で上手くなる方法もある、積立NISA方式。うまいこと仕事や家庭を掻い潜って積み立てて10年くらいでちょっとしたボーナスが出るような習得の仕方こそ提案しないと。うちは「趣味」の教室なんですから。
で、結構上手くなっている人が多い、というか10年以上来ている人も多くなり、さすがにタラタラやってても10年は何かを変える。
ママたちは子どもにやたらいろいろな習い事をさせるけど、どれも何にもならないことは多いが、でも子どもはどこに才能があるかわからないから一応色々やらせてみる、というのもわかるような気はする。小学校も高学年になれば、スポーツなのか学問なのか、どっちもいけそうなのかどっちもダメそうなのか色々わかり、その先多くは才能開発というより「補習」な感じになるわけだが。
もうそんな時期もとっくに過ぎ、「大人」になれば何かで「食ってる」わけだから、その食ってるものに才能があったということでめでたいが、だからこそその先の「趣味」は自由に選択できてやっと自分の人生も始められます。うるさい親も諦めてくれて、もう自分で課金しなくてはならない代わりにいつ「成果」が出ようが出まいが誰も文句は言わないだろうし。
どんな「趣味」もある域を越えれば楽しくもなんともなくなったりするが、それでも気にしないで積み立てる、放っておく(株の極意は放っておくことなんだってさ)
最近政府あげて投資しましょう、NISAやりましょうってうるさい。小学校に野村證券から講師が派遣されてお金の話なんかしてるそうだが、ナンセンス!学問とはそういうものを客観的にみられる能力を育てるものではないか?
テレビで説明聞いてたらちまちました話で、ポイント貯めてお得みたいなせこい事はやめろ!特に若者は日本を救うくらいの大志を持て!などど思ってたんだが、先日みんなで飯に行った時知ったが、息子も娘婿もやってた、積立NISA。
小さな「お得」にフォーカスすると小さい人間になる、と私は信じるものだが、今の若者は「小さいことはいいことだ」というような思想を持っているね。山本直純叱ってくれ。
こんなこと言ってるからどでかい使いっぷりで早期退職金も全部すってしまったししろーなんかと暮らしているんだろうが、今になって思うが、ししろーは私と会った22歳の時に「上がり」だったのだ。私が仕事ができなかろうがアスペだろうが散財癖があろうが絶対首を切らない安定終身雇用制度を導入しているというところをいち早く見抜いたんだと思う。
私も私で「できない男」を求めていたかもしれず、できる(自称なことは多く)したり顔の男なんかに威張られるのは真平だったし、できない男っぷりに腹をたて、じゃかあしい、じゃワイがやったるで!という啖呵を切りたかったんだと思う。
さて
ワイがやったるで!と啖呵を切ってみれば、「やれること」など何もなく、退路も前途も何もない道の真ん中で途方に暮れる。
もしかして「うた」?
そうしたら風が吹いたのだ。
人には必ず「風が吹く」瞬間がある。
その風を捉えることだと小学校では教えてほしい。それは「運」と言っても近いかもしれないが。うちの実家では毎晩ポーカーか花札をやっていたが、こういうのも毎日やってるといろんなことがわかるものだが、風が吹く、としか言えない瞬間がくる。
そういうの待っててもしょうがないからコツコツ積み立てをするのだ、というのかもしれないが、でもNISAはどちらかというとギャンブルの方では?よく知らないが。投資で稼げというアホな国。それなら絶対安全な500円玉貯金で豚の貯金箱をいっぱいにしたらどうだろう。これも娘婿がやっているそうだ。恐れ入りました。