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つまんない消費の飴でもしゃぶらせて寝かせておくか

癒し系消費になぞ付き合わんぞ、私は勇気と元気を売る仕事なので、そんなものケチな業者から買わないのだ。

 うたは消費されてなんぼだ。

私のレッスンは「商品化」されている、とつくづくこの頃は思うが、申し訳ない、こう言うものは初めの何年かは試運転というか、こちらもお試しというか、誠心誠意やってたが、できないことと、どうしたらいいかわからないことはこの仕事もまた実地で学ぶ、経験から学ぶのであって、最初の頃何していいかわからないことはたくさんありました。それでも一番初めに来てくれた生徒さんすらまだ来てくれているし、ありがたいことです。

 でも私の「うた」は消費されていないわけだ。それは例えば「リサイタル」を開いたところで、チケットを生徒に買ってもらうと言うような「売買」を「消費」などとは呼ばないし、そういう「うちわ自己満足」すら最近は面倒でやらないという怠惰ぶりである。先生はそこ、晒し者になることが必要ではないか。イタリアでやってきたこともだんだん薄れてしまうので、まあそのうちやりますよ・・消極的。

 そう言う嘘消費の話ではなく、本当に「消費されるうた」として成立しているのは声楽で言ったら10数人しかいない、というのが大方の意見であろうが、じゃ何が「消費されている」かといえばまあポップス、ポップス的なうたである。

 うちにただいま来ている生徒の年齢構成だが、ボリュームゾーンは50代から70代と思っていたが、よく考えると10代というのも多いのである。中高生ですね。声楽を習う理由も様々だが。

昔、慶應の内部進学で、あと数点で医学部に届くが、最後音楽の評点を上げれば行くかもで、このSanta Lucia にかかってる、という難しい仕事をしたことがある。声楽は初めてということだった。

 いやあ、ちゃんと受験して入ろう。慶應はスポーツ入学とかないはずなので、甲子園も頑張ってほしいが、どうしてエスカレーターとか推薦とかAOのような楽な道を子どもに薦めるのか私には気がしれない。こんな子供に過保護な日和った日本で特になんの才能もないお子さんは受験くらいしかマジなものなどないではないか。社会に出たら厳しいというが、私の感想だと、そんなに厳しくなかったよー。

 そして高校生。女子17歳、最難関高校の1年。

 「消費されるうたをうたいたい」

そうだ、よく言った!先生は消費されないうたを綿々とうたっているのには訳がある。「そっち側」に行く勇気がないからだ。才能もないかもしれないが、まずは勇気だ。

 ギターを持ってやってくる。オリジナルを持ってくるが、恥ずかしくて一節しかうたえない。

 あいみょんという人のデビュー曲を歌ってくれる、やはり「世に出てる人」は全然違うね。椎名林檎のデビュー曲は「ここでキスして」だったと思うが、どうしていきなりそんなうたを世に問えるのか。

 「凡庸になってしまいます」

いや、いろいろ夜郎自大で書いた詩など朝読めたものではない状態なのはよくわかるが、みんなそこを超えてるんだろう。超えてほしいと思う。62までできなかった先生。いつまでもなんちゃってクラシックをやっている先生に有名になったら色紙の一枚もくださいよ。

 まずは音楽学校に行く、まずは留学する、まあいろいろ一生やってればいいのだが、音楽の本質は消費されなくてはならない、ということであるから、なんとか人を揺すぶる、あるいは揺すぶらない(多くの消費されている音楽はそのジャンルもある。エリックサティの提唱したような「家具の音楽」とでもいうのか言わないのかBGMだが、今日は何年かぶりの検診に行ったが、医院でずーっとオルゴール音楽のようなものがかかってた。悲しくなるからやめてほしい。今いる喫茶店もどうでもいいBGMがかかっているが、いらない。作曲家の杉原さんはこういうのかかってるとコード進行が気になって仕事ができないと言ってた)音楽、消費されなくては何にもならない。

 高校1年の頃、私はロック少女であった。ELPというブリティシュ・プログレバンドにのめり込んでおり、その中のキースエマーソンというキーボードに惚れ込んでいた。彼は高校卒業後、昼は銀行で働き、夜ジャズの店でピアノを弾いていたというので、まず高校でたら銀行に就職しようと思った。そしてジャズの店で働かなくてはならんので、ジャズを習いに行こうと思った。当時結構本格的に教えてくれる教室が六本木にあり、母と見学に行った。

 まあ、高校卒業してからがいいんじゃない?

と「先生」に言われ、それもそうだと思ったのは、その雰囲気があまりに大人な感じで、そんなところに場違いな感じの高校生が通うのもなんだか恥ずかしいなあ、と思った。もうここで一歩出られなかった自分に今更がっかりするが。

 その後私は教科書に載ってた「太宰治」きっかけで太宰治にどっぷりハマってしまい、文学少女の道まっしぐらであったので、あの六本木に行った日いうのは結構運命の分かれ道だったのかもしれない。

 まだ引っ込み思案な自分も変えられる年頃だったかな。

まあいいよもう62、消費されないうたをせいぜい「まあ上手くなったかも」などと周りの何人かに言われるだけでも人は幸せになれる存在である。

 でも10代、やりたいことがあるならとことん進め!と煽動してしまう。あなたが62になった時、あの時押してもらってよかったって絶対思う。

 多くの大人は勇気がなくてできなかったことの集積で生きてる。もうしばらくすればボケないように、寝たきりにならないように、そんなことばかり考えなくてはならなくなるのだ。でも平凡でも健康で生きて来れてよかっただの、普通が一番だのつまんない呪文を唱えてないととてもじゃないが大人しくしてくれない自己顕示欲をつまんない消費の飴でもしゃぶらせて寝かせとくか。

 いや、ここから行く。いつでもそういうアグレッシブな感覚がないと高校生なんか教えられないし、誰をも教える資格なんかないんだと思う。老人になっても老成しない。

 

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