ピアノ屋が自ら電子ピアノを作って販売してんだから、もうピアノ普及も何も言えないのである。できたらそのうちピアノにしてね、なのか、もうその電子のでずっと弾いててねなのかわからないが、どっちでもいいんだ売れれば。
スタインウエイやベーゼンが電子ピアノ作りました、というならそれはすごい。買う。
私は実は電子ピアノは普及する前からバンドやってたので結構弾いてきたのである。ヤマハのCPシリーズとか素晴らしい音だし、ハモンドオルガンなど今でも欲しいくらいだ。買ったらすぐにプロコルハルムの青い空だっけを弾くに違いないが、独特のいい音出すよね。なにしろキースエマーソンを目指していたので、毎日神田商会に通い当時のシンセサイザーを弾いていた。でも今のクラビノーバはそういうのと違うよね。家電。
そもそも鍵盤楽器はもとはリュートでこれが鍵盤になりチェンバロになり、その後音楽の「お客」が変わっていくに従い変遷するわけだが、教会は神の声のパイプオルガンだし、室内では貴族の睡眠やお食事の妨げにならないチェンバロで、のちに市民階級がお客になるに、音の強弱が出せ、かなりでかい音の出せるピアノになった。ホールがメイン会場になったからだ。じゃ、日本のようなウサギ小屋にはそれに合った鍵盤楽器、ということでクラビノーヴァ(ヤマハの商標)だが、「お客」はウサギ小屋のウサギのお父さんお母さんということになるが(シルバニアか)ウサギのお父さんはケチ。私は貧乏は好きだが(清貧というものに憧れている)ケチは嫌だね。そんなもんで「ピアノ」習うというケチな気持ちがみんな詰まってる、夢のジャパネットたかだでも売ってる、カメラはヨドバシカメラでも売ってる、もちろんヤマハでも売ってる。
そういうケチな考えと音楽は相入れない。
そんな幼少期からケチを習っちゃいけない。貧乏は糧になるがケチは何にも昇華しないと私は思う。お得好きなウサギのママもよくない。ポイントばかり貯めてる場合じゃない。いつも何かもらえないかとおもらい根性に拍車がかかるのでカードは持たない、月賦で払わない、お金がないなら欲しがらない、以上。
私たちの頃は10軒に7軒がピアノを持っていた。その後騒音問題など多発し、ピアノ殺人事件という最悪な事件に発展したところで転換期が来たのだ。
鍵盤楽器はチェンバロからクラブサンなどを経てピアノフォルテになったんだからニーズに合わせて変遷してもいいわけです、クラヴィノーヴァとは上手くできた名前だにゃークラブサンでノーヴァ(新しい)という雰囲気をくっつけたのです 拍手。満場一致でこのクラビノーバ路線をピアノ販売停滞の突破口にしたのだ。案の定ウサギのパパママが飛びついた。もう企業の考える「夢」や「希望」にまんま自分を投入してしまう優しい子供思いの皆さん。
いや、うちもそんなところなんだが。パパが楽器屋の経理をしてたので、女の子だったらピアノでしょーと勧められてヤマハのアップライトU3を買ってきた。ベートーヴェンフリークだったパパは「月光」の楽譜も買ってきた。すぐに弾けると思ったんだろう。今なら全楽章弾けるけどさ、パパ、こういう文化を仕込むのは恐ろしく時間がかかるのさ、死んじゃったよ。
まあいいけどさクラビノーヴァ。これは家電だから、その後にピアノが弾けるようにはならないが、ピアノを買ったところでほとんどの子供は才能がないのと練習時間が足りないので別にたいして弾けるようにはならないんだからおんなじことだ・・というのがアホなのだ。音が違うでしょ。そしてそれが全部でしょ。
クラビノーバでスタートするなら初めっからジャズなどのコード音楽を学んだ方がいいと思う。下手なエリーゼのために、が弾けるより、なんでもコード譜で適当な伴奏ができる方がいいではないか。でも実際一部はそういう方向に進んでるみたいだよね。最近のバンドのキーボードはうまい。
ヤマハ帝国健在なり。ピアノ普及は前回ショパンコンクールにも2名ファイナリストを出し、多くのバンドのキーボードをうまくし、小学生に謎の楽器ピアニカを独占的に売りつけ(私は音楽教育上の問題より、ゴミ問題が気になる)今でもヤマハ音楽教室にピアノを習わせにいく人がいるのはびっくりだが(英会話もやってるよ)だからと言って民間も閉じちゃって、「いい先生」は絶対イチゲンさんには到達出来ない。ましてウサギのパパママには無理なのだ。月謝を年間の回数で割って一回いくらか弾き出しているようではとてもとても。
私の周りにはいくらでも「いいピアノの先生」がいるが、現行のシステムの中ではいい教育などできないし、自分で看板上げるのは音楽的能力より経営能力である。それは大体は離反するので、大手楽器屋に6:4で搾取されているが(4が先生、いつもどこもそう)それでもその家電楽器しか持ってないお子様にピアノのタッチをお教えしなくてはならない。
なんかうまいこと行かないかね。回転寿司しか食べられないわけじゃないけど怖くて普通の寿司屋には入れない。娘が神楽坂のすしざんまいはうまいというから先週行ったが、回ってないが、なんとなく入りやすいよね。でも本当にうまい寿司を私は幼少期にいやというほど食べてきたので、これはクラヴィノーヴァだな、とわかるが、ししろーが安月給だったので、子供たちにそんなうまい寿司もふぐも食べさせてあげてないんだ。
でも思うが、首から上の事ごとを「文化」と呼ぶが、口の文化は私はあまり興味がない。お金出せばうまいものにありつけるような努力のいらないものに興味を持つのは若干下品だと思っている。でもコンビニの弁当が喉通らないくらいにはしつけた方がいいと思うけど。
ついついまわる寿司屋に入るように、ついついまわるピアノ教室に入ってしまうんだろう。回らないけど入りやすくて文化の香り高いが高くない、そして絶対ピアノが弾けるようになる!一生弾けるようになる!そんな教室はできないものかね。