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うたは叫び、だ。

 頭声でうたうというのが「声楽」というものなのだが、そのまたマスケラの上と言いますが、かなり狭いところのいい位置に声を響かせるというのが「声楽」のやり方なのだが、それは難しいことなのかもしれない、難しい人にとっては。簡単にできる人とは、元々そういうところでしゃべっている人に過ぎないが、でもそんなのそういう人の声聞いて真似すればいいんじゃね?と思うが、「真似」とかそういう「ふざけたこと」しない人というのも世の中にはたくさんいて、「自分の声は自分のものでもう一生変わりませんからよろしく、誰の影響も受けませんからよろしく!」な生き方もある。

 頑固、頑迷な感じではあるが、変わるというのは危険が伴うから怖がりなのかもしれないし、堅実というのにも近いのかも。それは怖いことではありませんよーこっちで一緒に遊びましょう!というのがレッスンの内容である。

 所詮真似されてなんぼ、のものである。でもいくらYouTubeで世界の大歌手聞きたい放題な昨今、あっちにもカバリエ、こっちにはバルトリ、そっちにはネトレプコ、ということにもなっていないようだ。そして何より私がまた大した進歩もなく、師匠に「下手くそ」呼ばわりされているが、これはもう何十年も変わらないどつき漫才のようなものだ。

 師匠は林家パー子さんに本当に声からなにからウリ二つなのだが、それは絶対言ってはいけないことだと楽屋で同門の生徒に教わった。

 似せてもいないのに似てしまうものというものもあるのだ。本人は結構嫌がってることが多いが、でも八千草薫に似てる、とか言われて不満な人もいるのだろうか?例えが古すぎて笑えるが。

 大体誰でも自分の声は自分の顔以上に大嫌いなものだが、私でいえば自分の声聞くとなんだか自分の父親と母親のどっちでもないような不思議な声だ、ということにまずガッカリするし、所謂ダミ声だし、ほんとにガッカリする。うたってる声がどうかといえば、喋ってる声よりはマシだと思うが、自分の全てが出ているようで、じっと聞くのは辛い。

 いや、うた、ってその人の全部がそのまんま出るだけのことであるが、もう自分で好きでなくても他人に好きになってもらえればいいのである。「自分」ったってそうではないか。自分のことって自分でさほどわからないわけだが、もう年寄りだから、若い頃ほど自意識過剰でもないし自虐もしてないが、他人が「利用」してくれればいいのである。

 「利用価値」がなくなったら膝でも抱えて誰も聞きたくもないかもしれないが、うたでもうたうさ。モウロクする良さは、もうあんまり他人の意向を気にしなくなることだと思う。

 コンクールの審査員になってもう十年くらいになるのだが(クラコンとか東京国際とか)この前81歳の「Caro nome」を聞いた。ちゃんと高音まで出てた。当教室もコンクール受ける人が毎年いるが(今年は五人)全員予選は通った。やれやれ。

 審査員してると、たった一回限り、たった3分程度の「その人」が、声を通していろいろ見えてくる。クラシック音楽って、できなくてはいけないことがあるし、それを「個性」で捻じ曲げてはいけないので、気の毒なジャンルなのである。でもまず「基本」を習ってから、などとおっしゃるが、叫んでそれにフシをつければうたなんだから、そこからでもいいのである。

 そこからがいいのである。まず形式を習おうというのは「うたいたくない」証拠である。

 大人ピアノというのも熱烈歓迎であるが、私は一応コードからやったらどうかと提案する。すぐに弾けるし、ちゃらんぽらんにできるし。でもみなさん、まず「基本」からやりたいというわけです。そのニーズにお応えすることはできるのだが、大人になってバイエルだのツェルニーだのやるのは苦痛ではないか?そういう部分は小学生までにやれてないと。

 でもそもそもそんなに弾きたい曲があるわけでもない、あるいは弾きたい曲はべらぼうに難しいということなのではないか?ショパンの幻想即興曲を大人になってから弾けるようにするよりは、エーデルワイスをセンスの良いコードで弾けるようになる方がずっと音楽的行為である。

 うたもそう。まず頭声に上げたいなら、ジェットコースターでも乗ってみると良いと思う。すぐにできる。うたは叫びだから、叫びたくないのに頭声は出せない。でも逆に頭声になってるが、なにも出したいもののないであろう「うた」をコンクールなんかでよく聞いちゃうが。

 日本言語というのも頭声に持って行きにくい最大のファクターだと思うが、その言語を扱う人々のメンタル、そしてそこからくる生き方、でも日本人が「優秀」なのはまさにそこで、こうやってずっとマスクしてろと言われればしてるし。熱中症になるから外しましょうと言われてもしてるし。よほど国民性にあってしまったのか、もうここから10年くらいはマスク生活だろうと予測する。私は仕事柄マスクはできないし、外でも苦しくないマスク屋さん、というところで購入したマスクをしてるから苦しくないのだが、みんな他のために苦しくてもマスクを厭わないのである。いや、もはや他のためでもないな。

なんか言われるくらいならしてよう、という「だらしなさ」はこの国を平和にしている。

 よくいえば和を尊び己を抑え。忘れた財布がそのまま置かれてる国など日本しかない。私は暗証番号をマジックで書いた銀行カードが銀行に届けられていたが、本当にこういう良いところをもっと世界にアピールしたら良いじゃない。グローバル化することはむしろ自国の文化習慣に自信を持つこと自覚を持つことだ、とマエズミトシロウみたいなこというが。美しい国日本万歳。

 あべちんの国葬は故人が好きだった「桜を見る会」で、全員アベノマスクつけて、とは生徒の提案だが、ぜひ最後まで笑わせてください。

 

 

 

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