結婚式に出席しました。
そして久々に「健やかなる時も病める時もお互い見捨てないで頑張りましょう」的な神父の言葉を聞いたが、そうだよ、うちは本当に初めから夫は病んでいたが、私は神父様の教えを今でも忠実に守るものである。
結婚は戦いであった。そしてそれはまだ続行する長期戦だが、なんでも戦争に例えるのは本当の戦争など見てしまうと、不謹慎極まりない。
お願いだから、あんな天使のような可愛い子供の上に爆弾落とさんでくれませんか?
そんなことに比べるとなんでもないが、私は先週またオペレッタコウモリヲ見たのだが、いや、もう文化会館の5階席は2度となしだな。帰り4月の発表会のプログラム案を上野のスタバであらかた作り、帰りの上野のホームは夜8時半でしかないのにやたら空いており、花冷え。
ああ、少し寒くて、少し不幸。この感覚はどこまでも抱きしめていたいほどの愛おしさだ。
「旦那さんはアスペルガー」という漫画がある。アスペの旦那は働かなくなり、頓珍漢なことばかり言うので最後一緒に暮らせなくなり捨ててしまう話だが、せっかく知り合って、結婚までしたんだから、病める時も頑張っていくべきなのでは?そんなことで破戒してはいけない。
結婚なんて制度は私にとって今更どうでもいい上に、今後私が先に死んだりすると相続がめんどくさいので、籍など入れていない方がいい。別姓にしたいという人々は結婚届を出さなければいいと思うし、でも元々姓とは実家のものだから、それを継いでるのもなにかなあ、でもあるし、田中だ山田だ中田だのどうでもいいような気もするが。知り合いに原という人がおり、離婚して杉原になったが、息子の持ち物に杉を足すだけで良かったと言っていた。
そして思うが、太宰が言うように「家庭の幸福は諸悪の元」なのである。家庭は国家に続く道である。誰とも徒党を組んではならない。1人の戦いを1人で戦う。それ以上でもそれ以下でも無くなった時に戦争はなくなるさ、とジョンレノンは言っている。言ってないか。
結婚なんかしなくてよろしい。とことん誰かと一緒に暮らそうというのは私にとっては「心中」するような感覚である。それは相手がアスペだったからかもしれないが、どこまでも大変なことばかりであったが、私は「苦しんでる自分」が好きくらいにはナルシストなのである。
私の人生は結婚を辞めてから始まったビルディングスロマンなのであった。誰かに頼らないと決めるとね、あちらからもこちらからも援助が得られるのですよ、そして今度は自分が誰かを援助する番なのだと思う。
いいうたをうたいたい。
低音が擦れなく出るようになったのは、ホウツキ、年取ったご褒美、と先生はおっしゃるが、そうであるなら、いろんな曲がうたえるよね。久しぶりにバンドがやりたいなあ、と囁いたら、ドラムとベースを紹介してくれるという、12月にライブやる、その前に4月の発表会で、近代歌曲が歌いたい。やりたいことは全部やる。いい曲なんですよ、随分前からうたいたいんだけど。難しい。
バンド名は「昭和枯れススキーず」(仮称)