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小学生連れ去り事件が年間100件近く起きているという事だ。

 人間とは必ず自分より弱い立場の人に「イヤなことをする」ように出来ている

 という身も蓋もない事実に向き合わないと、いじめから戦争までの「しょうもない」人間史が読み解け無いが、そうだとして、幼児やら無抵抗な女児にそれを向けるのは本人も大抵は弱者の極み、保護対象か保護対象すれすれのマージナル人であろうが、道徳的説得などは無効である。「良心」などというまともな感情が発露している段階でもう人は「弱者」ではない。


 私は小学校2年の時に地域の「変質者」に殺されかけている

 放課後、家の近所で遊んでいて家と外を何回か往復していた。「その男」とはその日何回か目が合ってる。
人を噛む前の犬のような顔だな、と後から考えればどこかで思っていた。団地の階段の踊り場のようなところで突然抱きかかえられダストシュートに連れ込まれた

 殺されるんだろうな、と「静かに」思った。

 暴力というのはこういうものだ。相手の「気」の中にいるので手も足も言葉も出ないのである。子どもの警戒心訓練などが無効だとは思わないが、向こうの圧倒的な「やる気」には多分勝てない。

 ダストシュートに落とされるんだろう、と思った。ここは説明しにくいが、抵抗するどころか「協力を惜しまない」的な気持ち。なにか圧倒的な「納得」

 しかし、ある瞬間相手の「気」が落ちたのが分かった。本当にその男が「ワレに返った」瞬間を見た。

 男が去ってからも私はしばらく(1分くらいだろうけど)そこに居続けた、つまり「気」の支配というのはそういうものだ

その時の心情は、助かったというより、
 もう行ってもいいのかな?
だった。なんかすまないような気がした。本当に怖くなったのは家に帰ってからだ。

 相手の「気がそれた」理由は分からないが、私は勝ったんだろう。なにか紙一重でそっち側に落とされてしまう子ども達の事を思う。防犯意識を高める、というより、気を発する訓練が一番有効だと思うが、特に危ない場所に行ったり、普段行かない場所であれば、子どもであってもある程度「気」を張っているだろうが、そこはそれ、「気」のゆるんでいる自宅近くでやられるのである。

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 「気」でしか説明できないことが、うたをやっているとよくある。あるいは全部はそこでしかないのかも、「気で圧するようなうた」はダメなんだと最近よく思う。相手を支配下に置くような「圧倒的なうた」と言うようなことをわたしは思っていた時代が長かったが、今は「気」に乗ろうとしている。具体的にすごく音が変わってきたような気、がしているが、気のせいかもしれない。

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 うたが楽にうたいたい、楽しくうたいたい、声が楽に出したい、などという「理由」でやってくる「初心者」は大抵そんなにうたに興味はない。

 まず8割以上が聞いたこともない。うたなどなんの訓練もいらないのだからうたってしまえばいいのだが、風呂で鼻歌をうたったりもしていない。
コマーシャルのうたを真似したりもしない、それどころか悲鳴もあげなければ怒号もあげなければ、大声で喜んだりもしなければ、下手するとほとんどしゃべりもしていない

 それなのにいきなりこのマイクなしの1000人レヴェルのホールで激しい喜怒哀楽やら人間の本質をソロでうたうジャンルに挑戦する、という暴挙。

 結果のどを締め、よく言われるニワトリを絞め殺したような声でうたうことになるが。

 ある生徒が自虐的に語ってくれたが、部屋で練習していたら、その妻と長男が「おやじ!大丈夫か!!」と言って飛び込んできたと言うんですね。聞けば、妻がお父さんが部屋で唸っていると長男を呼びに行ったらしく、当時彼は定年後で天下り先の仕事で少し悩んでいたそうで、そのうなり声(いや、練習)からよからぬ事を想像しちゃったらしいんですね。微笑ましい家族エピソードでした。

 しかし、それでも唸り続けよう!と私は思う(部屋のドアに「声楽練習中」とか書いておいてね)そういう乱暴な事でもしなければ、現状打破出来ないという予感は正しいと思うから。なんでもやるときは極みからやりたいという人間の不思議が私は大好きである。

ひとはうたう権利がありますから
 
 うまいからうたうんじゃなくて、
 生きているからうたうんだ、とやなせたかし(故人)も言っている。

つまり、「その支配」から逃れるために、その逃げられない「気」から脱出するための、それがたまたま「声」で「うた」

出来たらうたう前に悲鳴の一発も出してきてほしい。

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 最近地震予知とか火山噴火予知とかそういう機関の研究者が、はあ?な会見するのに私たちはびっくりしているけど、フクシマ原発爆発時に東電はじめそういう機関で働く不思議な理系の人たちがいっぱい虫干しの刑だった。

 土砂災害防災センターなどという類の「センター」がたーくさんあるのを私は建築関係の財団でバイトしてたので知っているが。

 それらは建設省の天下り先ですから、トップは東大京大出て官僚になって3回天下った挙げ句の完了間近なじじいの双六のあがり先なので、みんな内幸町新橋界隈でお昼高いウナギや寿司を食べて旧交を温めているだけだし、その下のセンター員はもうひたすらデーターを資料化しているだけで

 だれもだれをも救う気はない。そういうの「仕事」って呼ばないで欲しい、
仕事とは自分のなけなし(いやいっぱいあっても)の能力で人を幸せにしようとする「徒労」である。

理系の良心的最先端は聞くだに涙の出るようなヒューマニズムに満ちあふれている。でも「組織」(センター)に入るとどうして人はああなっちゃうんだろう。こんなところで風呂屋のばばあ会議のような事云ってるのもどうか、だが、私達は皆不思議で不満である。

どうして「組織」ってへんちくりんなの?なんでへんちくりんな答弁をしてるの?誰を守ってるの?何を守ってるの?

 土石流災害で今後たった一人も死なせない!とか思って仕事してるだろうか?土石流センター員は。

 人を良くしない技術なんか何のためだ!と言いたい

そう、これは余談の余談だが、私は今日ファックスのインクリボンを変えるのに1時間以上かけ、取り説も探し、いろいろ研究したが果たせず、ここの製品は過去2回洗濯機で理不尽な(私にしては)故障起し(もう二度と買わないわ、一人不買運動。取り扱いの説明が「アホ」、家電屋のくせに東電でセンター、でももうどこかに買収されたらしいが)
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さて

 こんなにたくさん声を出したい!という人々が私ごときのところにやってくるが、これをあらゆる意味で「声楽センター」にしない事が大事だと思う。毎度毎度の真剣勝負と音楽的「良心」にだけ従いたいです。

 自分だけの観点だと狭くなるので、

 公開レッスンでは毎度良心的な講師をお招きしているが、先週公開レッスンのレベルの高かったこと・・その「変えよう」というこちらと本人の努力は奇跡を見るようでした。

 次回は2月以降だと思いますが、またこのシリーズは発表会以外に年間3回くらいはやっていく予定です 、い以下

ここに公開レッスン風景を貼りたいが・・写真の取り込み方がわからなくなってしまいました、去年は出来たのに・・。

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今年の予定

ホウツキ声楽教室 発表会 2014その2

2014.11.9(日) 6時45開演

文京区シビックセンター小ホール

入場無料

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「発表会キャンセル待ちだった生徒6人の発表会」 11月25日(火)文京区シビックセンター小ホール 7時開演 入場無料 私も10曲くらいうたう予定。

「マミーシンガーズ、例年の年末の会・今年は昭和歌謡など」 12月5日(金)文京区シビックセンター小ホール 7時開演 入場2000円 もちろん私うたいます、踊ります(?)

「コールドルチェ・文京 定演」12月7日(日)文京シビックセンター小ホール 7時開演予定 入場無料

「第3回 2014 当教室〆の会」 12月27日(土) 本郷名曲喫茶カデンツァ 1時から開演予定 入場 500円 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

  

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