スパ・ラ・クーアにて
今日は午後発声のユーチューブなんか見ふけってしまった、で、ごめん遠い親戚、なにか私の印鑑とその印鑑証明書類がないと君のマンションは売れないんでしたよね?来週月曜行きます。速達で送るので
でもつまり発声は
自分で分るしかないんだな、教えていて悪いけど
たくさんの人を教えていて思うのは、ベルカントなんか以前の話で、みんな声を出さない生活をしているようで、オペラの発声なんか学ぶ前に道の真ん中で愛を叫んだり(また「愛」は7番目に出る)カトチャンぺっ、のまねしたり、さかなくんのまねしたり子音だけ言う遊びをしたり
声で遊びましょう。声を出しましょう、うたじゃなくていいので。
あるいは思ってることはすぐ言いましょう。
声を殺して、というのはぴったりだな、今まで殺してた分ベルカントでうたおうというのは賛成だが、声を殺す事は緩慢な自死だと思うので、もっと職場のみなさん学校のみなさん「声のラジオ体操第一」のようなものを作るといいのではないか?
専門家がうるさい事いうから、なにか専門家について「正しい発声」でも学ばないとうたってはいけないと思っている人は多いようなんだが、
あなたがあなたの思ってることを伝えようとするやりかたに過ぎない発声をなにか特別な「方法」でもあるかのように吹聴するのは良くない
た だ、前の前に書いたけど、クラシックであるという事(マイクが無い時代、お客が特権階級から庶民に移った頃の、つまり劇場が大きくなりそれなりの音量必要 な上に段々肥大化するオケより超えて届かねばならないなど諸条件のもと出すうたい方のはサーカス芸のような技術があります、鍛錬も、もちろんモーツァルト とプッチーニじゃ違う、つまり雇用主の変遷で相手にするキャパが変わったのよ、うたい方すらマルクスの言うように経済構造である。でも何故貴族階級から民 衆階級に冨が移行したか、とか小学校5年くらいの知識しかないので分らないけど。)
そして世の中は大多数の働かない自称「弱者」(年金生活者等)のものになりつつあるんだから、うたい方もまた変わるでしょうよ
小 さな声で「ふるさと」をうたったり(ベルカント的スクイッロな声は弱者には厳しい)第9を5度下げて演奏したり、1時間もかかるのは腰に負担だからいいと こだけの25分くらいにするとか(1楽章2楽章はほぼ5分に短縮だな3楽章は個人的には10分くらいはほしい、バリトンのソロからいきなり合唱フロイデ シェーネルゲッテルフンケンに飛んで、フーガ少しあって大団円で25分)
・・・・・・・
7時半
娘は音大のフルートの仲間とカラオケ
息子は学校の図書館で9時まで勉強、帰りみんなで猥談しながら帰ってくるというが、そういう日々こそ青春なんだぜ、何かを目指せ、難しいことに挑戦して欲しい、挫折を恐がってはいけない、効率なんか考えるな、
やり方じゃない、やることだ!
さてアジッてる場合じゃない
もうそろそろ帰ってご飯作らねばなあ
夕方になると施設に入っているボケた老人たちが家に帰らねばといって騒ぐといいます
赤ちゃんも夕方泣きます。夕時コリックといいます
夕方のお母さん(引用に自信ない大意)
かなかなぜみが遠くでないた
ひよこのかあさんあちこちむいて
ひよこをよんでる
ごはんだよ
やっぱりおなじだおなじだな
サトウハチロー
昼間威勢良くてもえばっていても夕方はおかあさんのところに帰る時間、おかあさんはみんなの背負っているものを払い、リセットしてやる巫女のような役目があります、それは本当に大事なおかあさんの仕事なんですね
いえ(ホーム)にかえって一点もらいまた明日塁に出る。
セーフ、を言いに、
帰ります。