なにか核心をいうと、さっと 避けるのはこのパソコンだけじゃありませんが、そういうことしているといつまでも「周辺事情」で生きるしかなく、それは「無駄な逃避な消費」を生みます(ラクーア温泉など筆頭ですが)
逃避な消費こそが原発再稼動の道であり、あっという間に(生徒と3年と見込んでたが1年だった、凄)原発再稼動に拍手、爆発する事を前提としたら全く「安い電力」ではないので、まして地元の人が原発に「只今」依存していても爆発すれば難民になってしまうわけです
「安全は確認された」というところで死亡フラグ、「ダメでも何でもやっちまえー」といえばよかったのに
ま、ワシの生きてるうちは大丈夫じゃろう(何も根拠は無いが)ワシが死ねば別にみんなが困ってもどうでもええわ、
ということです、翻訳すれば
でも確かにそうです
自分とせいぜい家族くらいなんとも無ければいいという、
け、1000年後とか考えて何か決めてくれよ、われわれ「小市民」が自分と家族の頭のはえくらいしか追えないんだとすればさ、せめて選挙で選ばれるほどの選良な皆様はさ。
今回のいろいろで一つ分った事は
学者、ってバカ
でした。
いろんな説があり、全てのジャンルで、
放射能なんか飛ばないといって爆発翌日テレビでフクシマのほうれん草食べてたあなた、お元気でしょうか?一方、窓はきっちり閉め外出せず、床掃除を徹底しろ、と言っていたあなた、いまでもガイガーカウンター片手に床そうじ続行ですか?
学説がいろいろ、が「都合いい学説採用」、あるいは「結局誰もなんにも当てられないからわからん、気にしたらきりが無い」という庶民の方針に加担
思えば発声のようなものでもいろいろな派閥があり、ピアノにもあり、フルートにもあるようで、「その発声」って、その先生にしか「出来ない」し上手くならない、という現象はよくあることですが、まさか「科学」な事柄はそういう恣意的なことになってないと思っていたんでは無いでしょうか私達
ヒトなんて所詮ドグマの塊なんだから、そういうものを排除して「科学的」に処せるやり方がある、と思ったことが所詮誤りだったのか、と私は思いますね
「人間だもの」 相田みつを
それなら恣意的な科学的じゃない方針を決めるべきで、それを「思想」といっていいと思うが(社会科学とかざんざん考えてきた私は悲しいがさ)
もう限定50年くらい大丈夫なら結果オーライ欲望続行本質に目をつぶり本質唱えるやつは弾圧路線な「思想」でいくんですか。