火曜日からは学校で息子の朝特訓講習が始まり(今年東大合格者を10人も減らしたその学校はそれはそれはやる気である)週6日・・・つまり私は6時半には朝食を終了させ弁当を持たせるという事を週6日・・つまり5時起きが週6日・・
今でも朝は5時には起きているとはいえ、そこから読書したりぼんやりしたりの至福の時間を過ごしている私であるが、
否、すぐ回収。
人生は場当たりである。そうなったらそうする。
そうすると7時には家事も終わるであろう、8時まではさすがに練習は無理ですから7時から8時のあいだは滞りがちな日記を書く時間にします。
ですから毎日更新予定、乞う御期待
卒業と入学、学校が終わっても小さな卒入学を繰り返すんです、
さようなら一ヶ月間、ありがとう朝寝、5時起き入学おめでとう、走馬灯のように思い出されます。一ヶ月の朝読書は新しい活力を与えてくれました、くれました(Tutti)くだらない週刊誌もたくさん読みました、読みました(tutti)。
週 刊誌というのはくだらなくする努力に満ちているようで、今更原発どうのと云ってますが、東電から広告料が入っていたころにそんなこと書いていたメディアは あったでしょうか、察するに今進行中の「問題」はいつでもアンタッチャブルであり非公開なので、巨悪と戦えない以上無灯火自転車を照合するおまわりのよう に
木っ端な「罪人」を吊るし上げているしかないんですね
でもそんな「見せしめ」も病んだ心には一服の清涼剤、
ここに商売の地雷を仕込みますけどね、お客さん、うたひとつ、いやうたわなくてもいいんです、自分の声ひとつ満足に出せれば人生は何にもいらないくらいシアワセなんですぜ、見せしめを必要とするような人生は暗い、
シアワセな教室の発表会
4月22日(日)6時30から
文京シビック小ホール
今年はあと7月10月12月に発表会予定です。昨日合わせでしたが、皆さん意欲的です。当教室の発表会、これほど面白いクラシックのコンサートは見たことないです、といわれたことがありますが、退屈しないこと請け合いです
ついでにその前日は私のコンサートです。前回原宿でやったものの続編です
オペラチック ア・ラ・カルトⅡ
4月21日1時半開場2時開演
東京駅から2分パソナグループのホール
イタリアで毎日一緒に遊んでいた3人で春のうたなど企画してます。これもまた退屈しない内容で勝負したいと思います
チケット3000円
これ2枚しか売れていないので!応援お願いいたします!!
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先週自分のレッスン行ったら、ホウツキーまた泥縄コンサートやるのー?と言われましたが、いえいえ、人生全て泥縄方式、そしてこれからもそうしようと固くココロに決めています
縄の準備ばかりしていてはいけない
立派な縄など作ってしまうと泥棒が「必要」になりますからね。そのさかしまな順番が世の中を暗くしているのではないでしょうか?
「準備」と言うものの性質として「悪い事態の想定」と言うものがありますが、悪いことを想定した仕事は「悪いことは防げる」という事だけで良いことは生みにくい。
と、いきなり対談ですが、でも昨今想定外などと喧しく、「そうならない」ように準備が必要だと
電 力不足に備えて原発を作る、CO2を削減に備えて原発を作る、でも活断層の上に作る、準備とは常に鋭角的で守備方向が一方的です。では活断層の上に作ら ず、海辺に作らず、非常電源も山側に準備、北のミサイル等のテロにも備え近隣住民にヨウ素剤とみやこ昆布の配給も万端、そこまでやってもまだ想定外は想定 してないことなんですから何が起こるかわからない。
だったら節電して家で寝てろ、という事になります
電力がなければ経済は破綻する、と言う考えに基づく「準備心」と原発など再稼動させてまたフクシマをやったら大変だという「準備心」の戦いは終わりはありません。準備しないことです
私は子どもの学費も自分の老後の蓄えも何も準備してないDQNな人間ですがこのたび最後の230万を払い長女の学費は完了しました、いやあお疲れ様でした、何もしませんでしたが。はは、終わりましたねえ先生。
鼎談ではないのでししろーさんは入ってこないで下さい
準 備している人は準備もしないでのらくらしている人をイライラしたりバカにしたりしますが、準備している人にだけ「その仕事」はあるわけで、で、たしかに私 はその準備を引き受けて「仕事」を始めましたが仕事の仕方は泥縄です。只今の私は人の声を変えることにしか興味はないので、そんなことはその日その場でや るしかないことですからその瞬間にしか興味はない。でもここでまた商売の地雷を仕掛けますが、声をどうこうすることは人の「シアワセ」と直結しているとい う確信がありますので、みなさん声を出してシアワセになりましょう
でも声楽なんて難しいことには準備が要るんではないですか?
練 習が準備になってしまっているとき、その練習は「準備」にならないのです。いつでも今現在対象に向かって「しでかしている」だけのやり方が唯一の道です、 わかっちゃいるけど準備という暗いとらわれから人はなかなか開放されない。「仕事」は準備ではない、仕事が準備になっていることを「堕落」といってもいい と思う。
ホウツキ先生のとんだ「堕落論」を読んでしまった皆様、日曜なのにしまったなあ、などと思わず、さて本日東京地方桜満開、有象無象が集まる名所などに行かず、街でひっそり咲く桜を探しに行こうではないですか。
一年間開花を「準備」して一瞬で終わる花はまた性懲りもなく来年の開花を準備するんですからね。
いったいわたしたちの「準備」にどんな花が一体いつ咲くのかについて。桜の下で考えたいと思います。