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感染(うつ)るんです

 カバリエのノルマのなかのアリア Casta Diva がYouTubeに転がってて、うっかり見てしまった。学生の頃から好きな歌手だが、大学での声楽指導教官が音教の声楽などは遊びで見ていらしたと思う、その分楽しいレッスンだった、私は毎回往年の大歌手の「真似」でアリアを持って行ったものだが、カバリエの真似が多かった。「今日は誰の真似だ?」「カバリエです」「おお、やってみれ」そんな感じ。

最近発声の何たるかもよくわかるようになって見てみると、もう人間技ではないこれは。

 いや、しかしどうしたらこういう声が出るもんだろうか、もう何もかも違いすぎて笑ってしまうが、でもこれ聞くと、最近の歌手など聞く気もしない。私などどうでも良いが、今時の世界の有名歌手(今のところ)たちは何か思うところはないのか?「どうせカバリエさんにはかないませんけど、それが?」とか、「でも最近はDVDやユーチューブなんかで再現されるんですからね、画像もいいし、ビジュアルも大事でしょうが」とか「オペラ歌手もとなりのお姉ちゃん的な要素もないと、声楽を習う気持ちになりませんからね」とか「ま、古いうたい方よ」とかそういう感じで解釈しているのだろうか。でもカバリエだけが歌手なら、オペラは出来ないし、その時々でそこそこの実力の歌手がいっぱいいなければならないわけだから。

 でもカバリエ死んでくれてありがとう、残ってる音源などもみんな焼失してしまえ!皆の記憶から消えてくれ!と思っている歌手は多いだろう。

 何の才能もない凡人に生まれて、少し声楽なんかやって、あとは子どもの2人も作って和気あいあいと暮らして死ぬのが一番幸せ。朝からマミーシンガーズの会議をラインでやってるが、練習しようよ、と思う。とても到達しないことをやってるのはわかっているが、末端も神に仕えしものは、お布施かご奉仕か何かしないと。ま、会議もしないと、仕事だからね。事務員雇う力もないからなんでも自分たちでやる。小道具も大道具も自分たちで作る。

 マミー公演も6月までは中止になっているが、その先がどうなるのか。

 先のことがわからないのは何時でもなんでも同じことだが、コロナちんに関してはもう皆が詳細なデータなんか出してきてあれこれ言うもんだから気になっちゃう真面目な(バカな)人が増えちゃうんだろうけど、交通事故でもインフルでも癌でもなんでもデーター出されてあれこれ掘り返したらどれも怖いよ。学校再開もとてもできない。誘拐、交通事故、などは全部通学時に起きることが多いのだ。昨今はいじめにあって死んじゃうとか死なないまでも引きこもりになるなど、学校に行くデメリットは数限りない。私は勉強が遅れると思う。学校に行くと。家で参考書で勉強してた方が効率よくありませんか?先生の授業がうまいとは限らないというか、うまいことがめったにないからです。それは私が行ってた学校が公立やバカ学校だからかもしれないけど。塾行かないとだめなのもよくわからないよね。なんでこの国の教育はダブルスクールが基本になってしまったんだろう。

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 すべての不幸は部屋にじっとしていられないことから始まる、と言ったのはパスカルだった(たぶん「パンセ」それしか読んでないから)

外に出ればなんかに感染する。

でも感染しないと恋愛もできないし、家族も作れないし、種の保存も出来ないうえに、よほどの資産家でなければ個の維持も出来ない。

 で思い出すのは、私の異母兄弟のうちにひっそり暮らしてたかおるおばちゃんだ(兄弟の母親の妹)。かおるをどういう漢字に充てるのかも知らないが、兄も姉もおばさんも「かおおばちゃん」という愛称(?)で呼んでいたと思う。徹底したステイ・アット・ホームであり、外にもいかないが、なぜか家の中でも存在を消せる「かおおばちゃん」(狭い3LDKの団地なのに)

私は中学の時に成績が悪すぎで、兄姉に勉強を教わるために3か月この家に泊ってたんだが、かおおばちゃんと一回だけ話したことがある。この家の人々は夜になると救急車を呼べ!殺せ殺せ!などと激しい喧嘩をするようなエキセントリックな人々なのだが(朝には仲良くしてる)むしろおばちゃんは普通の人なんだなあ、とその時思った。あの喧嘩の最中どこにいたんだろう?

いつも静かに編み物をしていた。この家のトイレットペーパーホルダーやドアノブカバーやコップ敷きなどはおばちゃんのお手製の編み物であった。

この家はうちの父の仕送りで暮らしていたんだから、当然おばちゃんもそれで食べてたはずだが、そういえば食事の時みんなと一緒に食卓を囲んでいたことがない。皆の食事が終わってから残り物でも食べてたんだろうか?別に体や精神がおかしいわけでもなく(私にはこの家の中で一番まともに思えたが)なにか外に出られなくなってしまったんだろうね。彼女はいつも「例外」で、バカにもされていないが、数にも入っていない、なにか透明人間扱いだった。今思えばそれほどの歳でもなかったのでは?いつからいていつどういうことになったか私は何も知らないが。

引きこもりなどという陰鬱なものではなく、静かに存在を消してそこにいる、死ぬまで何も主張しないでそこにいるという生き方。依存してるわけだが、専業主婦のような「主」だなんて意識もなく、専業というまるでそこに仕事があるかのような言い訳もなくて。

ただ放っておいてくれ、という静かなメッセージを発してたのは子どもながらに私はわかった。なんにならなくても、なんにもしなくても、楽しくなくても、ただ生きておるという生き方・・・。

 外に出ればなんかに感染するのよ。女の子の20代は難しくて、私もそうだったが、良家だとしかるべき見合いがあったりするが、駄民は自分でどっかで異性を見つけてくるという野合の会を開かなならん。一回でうまくいくはずもなく、何回かあるいは何十回か「練習」が必要である。失敗がつきものだが、それで決定的な目に合わないように、でもなんかに感染してくれないことには新しい家族が作れないのである。結婚なんか感染症である。別に罹らなくてもいいと思うが、いつまでも実家にいるとかは良くないと思う、駄民の家は狭いのである。でも生きるって感染して瀕死になっても死なないことだと思うので、なんでもやってみろ!と思うが。帰ってくるのが遅い、だの旅行に行くなら何処に泊まるのかちゃんと言え、とか形式でも言わなければならない。監視が厳しければ嘘つくだけだが、最近の子は「平気で本当の事」を言うからね。同棲してからじゃないと結婚なんか怖くてできないとまでいうし。でも結婚したって、相手があるいは自分が変わっていくこともあるしね。でも私も一年くらい同棲してから結婚したらよかったかね?結婚しなかったかもしれないけど、

 結婚して幸せになりたかったわけではなく、先に進みたかった。もっと言うなら なにか「こじらせて」みたかった。何かに感染してみないと人生進まないくらいに私は退屈してたのかもしれない。大状況がほしかった。どんどんこじれる結婚生活というのも何もないよりははるかに楽しかったし、でも相手がどんどん変になってたのはさらに楽しかった。もうこれ以上のバカがいないというバカを責める楽しさは虐待とか共依存とかなんとでも言ってほしいが、嗜虐の極み。人は本当に嫌なことはしないものですよ。

 娘息子も満額で上がり、あとは仕事も家もあるし、楽しく暮らせるはずなのに、またウイルスを呼んでみたりする。ほんと人間って不思議。ってかあんたが不思議なんだろうって自分で突っ込む。でももう私も年取ったんだろうな、ウイルスと共存の2か月だった。一回大げんかをしたが(絶対私が正しいが)あとはネコと3人でそれこそ穏やかに暮らしてました。もうそろそろ田舎に返すが、田舎で母親が病気になった生徒が、帰りたくても東京から娘が帰ってきたというとおばあちゃんのヘルパーが来られなくなるそうなんですよ。何それ?

 田舎に真面目なバカしか(つまり自分は汚染していないという思い込みを信じられるくらいに)残らないからまともな人がみんな東京に出てきちゃうのは仕方ないね。もっと分散しないと地方都市はなくなっちゃう。相変わらず都市部は混雑してるというのに。つまり「感染」とは人がパラダイムシフトするチャンスなんですよ。何回も何百回も感染を経て人は自分のアウトラインを描いていくというような。

 

 

 

 

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