マミーのコンサートも終わり、やれやれ、しかし29日はどん詰まりピアノフォルテの会なので、ピアノは弾いてるが、これはもうどうやっても上手くはならないので気が楽だが、今日レッスンで、もう少し「年相応」な弾き方を考えた方がいいと言われ、ショパンのワルツなんか弾くんだがブーニンのイメージが強すぎて。そんなことできるわけないんだからやめとけって。ゆっくり優雅に弾くとか・・。「ゆっくり」を「できない」ではなく「優雅」と言い換える技もこの歳ならいいではないか。
マミーのコンサートはまたもRitorna vincitorだったんだが、これは少し前から教えてもらっている「フォースタンス理論」を取り入れてみました。最後のゆっくりのところの考え方は全然変わったのでうたいやすくなった。
しかし「東京ブギウギ」は著作権料払わなくていいくらい出鱈目の歌詞を言いました。結構練習したのに・・。この曲はだいたい地声で歌ってほしいと服部良一が笠置シヅ子言ったという曲だそうで、ベルカントでうたえないよね。
でも久々のマミーのコンサートは色々あったけど楽しかった。さすが23年も続いてるのでみんな同じく年取った。うた仲間でもあるけど、時にママ友でもあったのだ。お子達の受験だなんだもぜーんぶ終わり、独立した子供達の話なんか身につまされるな。そうかあのマミージュニアたちはもうすっかり大人なのであった。独立して家を出てったジュニアたち。帰ってくるっていうからたくさんたくさん食材買い込んでたのに今日は帰れないってラインが、とか。切ないけど幸せな当たり前だよね。家にいつまでも居られても困るではないか。
うちも一応ジュニアたちは独立。
今日は下の子の住んでる寮の寮夫さんに日本酒を届けに。
いやあもらってばかりで申し訳ないな〜お相撲は好きですか?
いえ、私はあまり・・でも「主人」が好きです
では少しお待ちください
2024年の大相撲カレンダーをいただく。寮夫さんはかなりの相撲ファンらしいのだが、咄嗟に出た「主人」に驚く。ししろーもデーモン小暮くらいに相撲好きだが。「主人」という言葉を使ったのは生まれて初めてかもと思った。
こんなところで実は離婚してるんですだのでも一緒に住んでるんですだのでも私が扶養してるんですだのまたも先々週の土曜には大喧嘩をして追い出したんですけど2日で性懲りも無く帰ってきたんですだのそんなこと言ってもしょうがないからである。
「主人」という言葉は便利である。うちは「家父長制度」を遵守しております。変な思想はありません。私は養ってもらっている身なので飼い犬のように従順でございます、危険思想はございません、などが一度に説明できるからです。息子の「出世」の妨げになったらいけないという母心。でも今時の若いひとは車や家に興味がないが、出世にもあまり興味がないね。
ししろーも極めて出世しなかった男だが、そしてその日暮らしでいいというような大志のない人だが、それでも私らの世代は「勝ち組と負け組」といった二項対立に常に晒されていたと思う。女はともかく(もう初めから負けてるので)男は「ホモソーシャルでは何がなんでも勝ちたい!」と戦ってきたはずで、その悔しさみたいなものが根底に滲んでいてめんどくさい。
息子の方が遥かにそういう感覚がなくなっているのは時代が進んだんだと思う。社長さんになったところで、最後頭下げてばかりで、せめて頭頂部をハゲ散らかさないように気をつけなきゃな、そんな給料もらったって使い道もないしな、というような。
クリスマス。
昨日歯医者で武蔵境にいって今日亀有アリオに。もう消費なんかくたばれと思う。大量消費、安物買いの銭失い集団。そんなところに「欲しいもの」は何も何一つ売ってない。
いや、つい古い世代は物欲バーサス精神性などと対立させてしまうが、どちらの立場に立ったり立たなかったり、そんな時代、全ての価値は限定的で暫定的である。こんな時代に大事なのは「身軽」であることだ。
メリークリスマス。そのキリストにおいて撒くな狩るな蔵に収めるなと言ってるんだからね。この時期にしか出ない安いバタークリームのホールケーキを頬張りながらその思想に思いを馳せる、などが二項対立からの脱構築なのである。