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どんな人生も「声」でドラマになる

 体の底から出るような息というか「気」が声帯を通して声に変わり、それが鼻腔共鳴して声楽な声になるのだが、その共鳴させるに際してどれだけ後ろが開けられるかというか上に伸ばすというか、ピアノ売ってちょーだい、の人のちょーのところのように引っ張れるかが大事なポイント。そこで体がかなりいる。あとその底から出る「気」が出るか。

 フォークロアな「おばちゃん」って「自分の声」からなかなか離れられないんだが、人生も「ここでの暮らしが全部です!」のような暮らしをしていることが多く、こういった狭い生き方は声を開放しないね。それは歳とも関係ないから、若くても「おばちゃん」だが。

 各地に特有な発声や音階があり、それを否定しない、再発見するというのが20世紀からの音楽の流れの一つだ。でもそれはあまりにこの「西洋音楽」が主流を張ってしまっているが故のアンチテーゼに過ぎない。

 インドカレーと関係ないところにあるカレーうどん的日本の発声にならないようにと思うわけだが、もちろんカレーうどんの中に旨いも不味いもある。

 オペラの(ベルカント時代からVerdi,Puccini,その後の近現代まで)持つどぎつい本質とはなんだろう?あらゆる「間違え」である。間違え、というからにはそれはミスであるから、ミスの元にあるのは不注意やらぼんやりやらで大きく言えば人間のアホさ加減である。

 夫は毎日定時に出社、退社、奥さんだけをひたすら愛し、すくすくと子らは育ち、自らお勉強をし、野菜もよく食べ、9時に就寝。奥さんも家人の幸せだけに身を挺し、決して不満を言わず余計な買い物もせず・・。

 ふとその定時の帰宅時に同僚に誘われ断りきれずに行ったスナックで超好みの女の子がいたりしないか、お子達もお勉強の傍で息抜きにみたyoutubeの音楽にハマって勉強の手が止まってないか?奥さんは毎日家事に勤しんでいたが、ふとかかってきた電話の男と話すようになった。話すだけじゃ足りず会うようになった、会うだけじゃ足りず・・

というドラマを久しぶりに見た。山田太一「岸辺のアルバム」今やYouTubeで何話か見られる。山田太一が亡くなった。私はドラマ作家になりたかった時期があった。山田太一全盛期だった。

 人はミスを犯す、でもまたそれを修正して再生するのだ、ドラマだからそうなんだが、オペラはそのミスしたことミスされたことを永遠と叫び続けるジャンルだ。それに例の発声が必要なのだ。

 修正して再生、最後一家は流された家(多摩川の決壊にヒントを得た作品です)が下流の岸に流れ着いているのを見つけ、みんなでその屋根の上に座ってみる。「再生」を予感させて終わるんだが。

 オペラって再生を誓うようなものってあったっけ?フィガロ?浮気心を謝り許す、でもその浮気心って人間の持ってるアホ心なのだからそんなに簡単にことは終わらないだろう、と皆思う最後になっている。きっとまたやるな。

オペラは自他のミスについて永遠叫んだ挙句振り上げた拳が収集つかずに誰かやみんなが死ぬことが非常に多い。

 しかし死ぬことも逃げることもせず、少しずつ軌道修正してあとは転ばないようにスピードを下げてヨタヨタ歩いて行くというのが普通の「勇気ない」私たちの人生なのだ。そこにオペラの存在理由もあるのだ。

 いよいよ年末。今年も大したドラマもなく終わっていくのを幸いでしたと締めくくる。いや、ドラマを生きるのは大変よ、私が提案しているのはドラマな声を出すことだ。そこから全部の景色が変わるような声を。 

 昔、二期会で有楽町マリオンで突然「ふるさと」を歌い出し、会員が最後大合唱するという企画に参加したことがあったが(なんであれだけの歌手揃えて「ふるさと」なのか。Traviataの乾杯くらいやってもいいではないか)

 そんなふうにフォークロアな感じのおばちゃんが急にスーパーで、職場で、電車で家でうたい出すとか面白い。どんな人生も「声」でドラマに出来る。

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