いつものWi-Fiが作動しないので、謎のWi-Fi。
もうこういうことが一切わからん老人になってしまった。わかりたくもないわふん、と思っているうちに、そんならいいよ、と取り残されているが、私の仕事は電気も要らない。ピアノが弾けて、歌がうたえればいいのだが、イタリア行くとかそういう時多少困る。今は全部息子頼りだが、これが結婚したりすると早々利用できないだろうし、でもまだそんな兆しもないのでその間に「自立」するか。
さて、発表会もとっくに終わり、その直後から風邪をひき、律儀に連休中に治り、木田さんのリサイタルも終わり、やれやれ、来月のピアノフォルテの練習と7月イタリアに持っていく曲をさらうという場面にやってきました。
一つずつ説明すると、発表会。もうどの人も完全に上手くなっているので感動した。もしかして私は教えるのが上手いのかもしれないと確信した。どのひともというのは尋常ではないではないか。うたは上手い人しか上手くならない、と思っている先生は多いし、私もそうは思っているんだが、習いに来るということは上手くなりたいだろうな、と思うわけで、そこは必死に考える。一緒に考えれば道は開けるものだ。うたえない人はいないはずだが、うたから遠い人がいるのだ。それを一緒に道を歩くようなものだと思う。大事なのは「絶対的提案」なんかじゃない。一緒に考えることだと思う。
絶対的提案がないわけではない、絶対的というか一般的というか、それはモノの5分もあれば説明できるものだが、それをその人その人に当てはめていくというのは気の遠くなるような作業なのだ。そこを厭わないことだと思う。大体先生はそここそ厭ってると思う。でも偉い先生はそれでいいのだ。そういう先生につく生徒は腹を括ってるし、うたなんか楽しいとも思ってないので。でも私は偉くない先生なので、そんなことしてたら仕事にならないのである。
みんな「辛い仕事」の挙句にうたを趣味としているわけだから、これがストレスになっちゃいかん上にむしろカタルシスにせねば。趣味こそ上手くならんとどうにも楽しくないものだし、それなのにクラシックの趣味とはなんと難しいものなんでしょう。
でもクラシックを趣味にする段階で、ある程度「苦しむ趣味」がお好きなこともあるので、そこは結構気にすることもないのかもしれない。
私の趣味など、一才向上心のなくてできるものなので、苦しむ趣味をお持ちの皆さんに尊敬しかない。私の趣味はビール2缶(もうこれくらいしか飲めなくなりました、350mlですよ)とテレビ(最近は千葉テレビ神奈川テレビ埼玉テレビなどでやってる大昔の再放送ドラマとチャンバラを撮り溜めております)
最近は「牡丹と薔薇」という当時少し話題になった昼ドラを毎日見てるが、ししろーが「ありえねーありえねー」とか言ってえらく喜ぶのである。なんだこりゃ、なこの手の大映テレビ、東海テレビ系列の昼ドラは昼1時半から8ちゃんでやってたんだよ、それは「お父さんたち」が働いてる間、主婦の楽しみだったんだよ、荒唐無稽でありえない筋作りこそ骨頂であり、主婦の毎日おんなじで気が狂いそうな日常を救ってたんだよ、お父さんたちだって早々楽しいこともなかっただろうけど、部下に威張ったり、新人の派遣が短いスカート履いてたり、ちょっとした楽しみはあったでしょ?
ジェンダーフリーをあんまり強調すると、人は「得意なこと」をうんと研ぎ澄まして生きていかなきゃならないよ。「普通の主婦」みたいなものは減っていくだろう。実際減ってるが。そうするとこういうドラマも見る人いなくなっちゃったんだよね。
その2、風邪を引いた。
まあ熱も出ないですぐ治ったが、レッスン1日休んだ。年に1回くらい必ずかかるのだが、今年は3週間くらい早い。温暖化の影響か?
その3、木田さんリサイタル。木田さんは今月で80だそうだが、今回が一番良かった。支えからうたうとはこういうことだ。つまり支えがしっかりしてれば八十でもうたえるということか。最後の挨拶とかヨレヨレしてたが、うたは他がヨレヨレしてても進化するんだ。一体いつまで進化するか私も見守っていこうと思う。ついでにそこで私がうたった「アマポーラ」のヴァース部分のスペイン語は、風邪の後2週間、1日20回も言って完全に覚えていたと思ったが、ほぼ全部出鱈目をいった。「〜コラソン」とかスペイン語っぽい出鱈目が言えたのは自分で感心したが、こんな少しを暗譜できないのは「老化現象」だろう。80で何曲も暗譜で歌うってすごいことなんだ!
謎のWi-Fiが時間限定のようなので、もうここらでお暇しますが、ご無沙汰いたしました、再放送ドラマ見てる暇があるなら、もう少しまめにブログ書きますので、乞うご期待。