20年ぶりにクラス会、小学校、そこは村の分校みたいな規模で、6年間クラスは1つしかなく、でもそこにはその後の人生で会うほとんどの人間のヴァリエーションがあった。
集まったのは約半数20名くらいで、少し遅れていったんだが、おじさんおばさんのグループがあるなあ、と見過ごした。まさかそこだと思わなかったよ。みんなで集まると遠目にはほんとに中年グループ、近目でもそうだが、そうか52歳グループって初老といっても良いくらいなわけですよ。
うまくいくことやうまく行かないことを抱え、あきらめたことあきらめてないことを持ち、それでもとにかく自分の信じるところで、自分以下でも以上でもなく生きてきたんだ、私たち。どっかでなんかで誰かと知り合い、生殖したりして、その子どもが難しかったり、いやどんな子どもだろうが子を育てるって大変な事よ、はげちゃったり太っちゃったりしたってしょうがないよ、あのころは等しくみんな子どもだった。本質的なところは変わってないんだ、と飲んでるうちにばれてくるが、とにかく私たちは生きてきたんだなあ・・
そしてそれは「一段落」したんだろう。もうこの先私たちに起きる抜本的なことは「死」なんだろうから、それを待つでもなくなんとなくぼんやりしていれば「全部終われる」
一人の犯罪者も出ず、禁治産者も出ず、新聞沙汰にもならず、ノーベル賞とる者もおらず、大金持ちになる者もおらず、
いいクラスだったなあ。神田と秋葉原の間の日本で最悪に空気の悪い岩本町交差点の裏の小学校。もうとっくに廃校だけど
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晴天に恵まれた3日間は駒場祭だった。
息子のクラスは焼鳥屋をやっており、こういう学祭で作る食品は衛生上どうなのよ、といつも思っているが、食べてみるとあまりのタレの甘さに、これならほとんどの細菌は死滅だろうよ。学校にも慣れたようで、いや、私がやっと慣れた。中高では毎日5分と違わない時間に帰宅してたから、大学入ったら帰ってこない日があったりで(といってもせいぜい先輩の家に泊まるとかだけだが、それも近所)わたしはパターン主義者で、イレギュラーなことがきらいなのですが家族がいれば散らかりますね。
まとめない、まとめない
いろんな義務やらがはずれてきて、一生を一年にたとえたら(4月始まりな考え方で)11月ってかんじ、もう夏は来ない。私は夏が大嫌いなので、こうして寒くなり少し物も考えられるようになり大変楽しいが。
秋の駒場をししろーと散歩、高級住宅街、すごいね、誰が住んでるんだろう?セコムの営業は成功しているようだが、一次違いで大違いのアコムを利用しているうちが軒並みという地域だってあるだろうよ。アコム利用してます、ってシールも玄関に張るといいと思う。押し売りは来なくなるよ。
貧富の差というのは永遠に縮まらないだろう。平等など永遠に成し遂げられない机上の空論だが
小学校のクラス45人だってまったくに不平等、勉強できる奴、足が速い奴、良い価値は割と独占されていて、ばか、のろま、デブなんか一手に引き受けてる子もいたよなあ。
でも「持ってるもの」でやるしかないんだから
何が私達を生かしているんだろう?
むしろ持っているものを「提供」する事においてのみ「平等」なのだと思う。「報酬」ではなくてね、提供する事実が全部で、その中身でも見返りでもないとするなら、人はみな生きるに値するんだなあ。そして提供することで得られるものだけで喰えるように出来ているはずだ。神は偉いね。
「あなたが生まれたとき」(大意)
ばらはその色を、百合はその清純さを、太陽はその金色の輝きを、星たちは瞳に光を、小鳥たちはその声を与えようと
鳩は飛行を止めて考えました。
私は何をあげたらいいんだろう?・・・
そうだ、わたしの柔和さをあげよう
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「提供」することでこれらのみんなが「平等」になるってことです
レスピーギが歌曲にしてます。こんな良い曲(歌詞と和音の関係が。音楽は和音の発達によりここまで表現力を得たわけです)を私はそうは知らない。