こどものやってる教室(同じところでやってるんだよ)は広告費を使っていないのにちらほら生徒が来ているようだが、私は広告費は全収入の1割、と思っているが、今はそれほどかけてはいない
検索順位は上位で出るようだし、それも「対策」が効いているのかどうなのか・・・こういうホームページの管理会社は百花斉放、玉石混交、だいたいは6ヶ月くらいで担当は替わり、どっかいっちゃう、下手すると会社も消えちゃう、なんて事が多いですが、みんな丁寧に紳士服の青山みたいな格好で、大東亜帝国以下な感じの語彙力で営業にいらっしゃるが、契約取ると知らん顔、ということにそれほど腹を立てているわけでもなく、そういう「落ち着きのなさ」「育ちの悪さ」は「これから」なものにつき物だし、
それを敬遠して大事なことを逸しないことも大事なんで、
やり方じゃない、やることでしょ、(東進か)
「やり方」なんか「やってること」に比べればちょっとした言葉の綾だし、にもかかわらず「やり方」に関する時間が全ての仕事に圧倒的な割合を占めているのは「やりたくないから」に他ならない やりたくないよねー仕事なんか もっと人類は遊んで暮らすことを真剣に考えなくてはいけない、と私は父親に厳しく言われて育ったが(試算とかしてたよ。変なやつ)
あ、広告の話しになってしまったが、
ピアノのことについていつか書こうと思っていたんだ、
お・し・ら・せ
ピアノを習わせようと思っているお母様方へ。もうここまでのブログでとっくに他のバラでも背負っている教室に替えてしまったでしょうが、暫し、私はピアノを教えるのがうまいのです。それも才能も時間もそれほどない子どもを「そこそこ」にする専門です。スジがありそうな子どもの場合は必ず他所を紹介しますので、その辺も良心的ではないですか。
①ピアニストになる気はないので・・・
と多くのお母さんはおっしゃいますが、心配するにあたりません、ピアニスト(ピアノ演奏業で生計を立てられる人)には普通はなれません。
②ピアノは置けないので電気ピアノで始めたい
と多くのお母さんはおっしゃいますが、電気ピアノは家電ですからそれでピアノの代用にはなりません。ピアノ習うのに掃除機買って来るくらい変です
つまり訳せはこういうことでしょう。
ピアニストにさせるほど時間も金もかけられないけれど、それにあんな大きくて黒いブツをリビングに置きたくないし、だいたい小学校5年にもなれば受験も考えなくてはならないし、本人が向いているかどうかも分からない、そら本音言えば良い大学に入ってほしいが、勉強だけの無趣味な人間になってほしくない、さらっとなんか(何かってなんだ?)ひけたら良いし、絶対音感なんかも身に着けたほうが良い?
対策 一日10分(高学年になったら出来れば15分)を6年まで続けましょう。「正しい」やり方でやれば一生ピアノは弾けるはずです
対策 ピアノは中古でいいので買いましょう
対策 ピアノと同時にピアノの曲の入ったCDを買って毎日3分くらいは聞きましょう
余談 絶対音感は持ってて悪くもありませんが、何の役にも立ちません。敵機を聞き分けるのに藝大生を使ったという話がありますから、戦争の時に南方に送られないとかそういう良さはあるかもしれません
とにかく絶対正しく毎日10分練習できればピアノは弾けるようになるんだから良いではないですか。でも少なくとも6歳くらいまでにきてくれると嬉しいけど、あと変なところで習ってから来てほしくないなあ、クセ取るの大変だから。
今私は何人かの大人と小さいときから教えている子どもの成れの果ての高校生3人(男子・うまいよ)を教えているんだが、このジャンルは娘に譲ろうと思ってます。娘は私のメソッドでとことんやったので、練習しているところをほとんど聞きませんが、高校大学とピアノの試験は全Sだったはずです。つまり量は質を凌駕しますが、そうできないのであれば(みんな普通はピアノの練習なんか大嫌いだから)それに受験なんかもあって(言い訳な気もする)時間もそんなに取れないなら正しく10分を6年生まで、この「正しい」というところが大事
正しい1 指が正しい
正しい2 鍵盤を見ないで弾ける→初見が出来ること
正しい3 電気ピアノではない。ちゃんとハンマーと弦の関係のある楽器であること
これだけだと思います基本は。ピアノや音楽を愛する気持ちやらそういうのはとりあえず要りません。
しかし ピアノはたとえ私程度でも弾けたほうがずーっと人生良いはずだと私は確信する者です
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なにか「まとも」にそれでもやめないでやってこられたのは「ピアノ」と「うた」だけだが、「それでやってんのかよ」といわれると三平師匠のように「こうやったら笑ってください」だが、
それでも続いているものは好きというよりなにか因縁というか、他がだめという原因はあるにしてもだ。
他がだめだから「これ」ってことは多いじゃない?
フウフなんてのもそうではないでしょうか?もてもてで常に「フクヤマです」みたいな人が回りに10人もいて、影となり日向となり支えてくれるなんて事があるならいざ知らず、歳を取れば取るほど普通は異性の支持者は減るんだから、ますます「あなただけ」状態にならざるを得ず、そういうのをやっぱり家族が一番だ、絆だなんだと摩り替えてほしくないが、私は「家族」を良い募る「ファッショ」が嫌いです。
そして私は記念日を家族に祝ってもらうのが昔から大変恥ずかしいので、それに自分もほとんど忘れていたので、でも今日は誕生日です、52という5でも10でも割れないどうでもいい年齢ですが、中年にもう一つ付いて中高年なんて言われたりしますが、私はあんまり自分の「相応」とか考えないタイプなので、何にもあきらめてません。年取ると怒られる事が少なくなりますね。年寄りだから偉い、というのは大変な勘違いですが、だんだん「範疇」から脱落していくという事なんでしょう、好きなこと散々言い散らかしてやり散らかして死にたいですね。お年寄り、なんていわれるよりクソババアといわれたい。
Birthday party’s on!
今日の日が終わる
また生きていけるね 明日も 「キリンジ・今日も誰かの誕生日」
そういう生体反応の乏しい寂しい故に温かい「寄り添い」に震撼してしまう。
クソババアでも狂人でもいいから「生きて」いたいわ。