ピアノフォルテの会その1 は大成功だった。
皆いろいろ言っていたが、結構弾けるではないか。参加者13人。次回は12月29日決定。参加者募集中。暮れの忙しい時にやるのは、この日までに大掃除などは終わらせ、心安らかな年末を過ごそうという意図、毎年やってた〆の会がきっと今年もできないだろうからその代わり、そして女子、もう家のことや人の世話ばかりしてないで「ピアノを弾こう」
思えば人の世話ばかりしていたのである。そしてこう家族も解散して1人になったと言うのに、自分のことを後回しにする癖、子育ても介護も全部言い訳である。多くの「善良な女子」の習い性である。なんのため?自分の「テーマ」を誤魔化すための。
人生は消耗ではない。暇つぶしでもない。
うたは家事育児介護全部やってもまだ出来るジャンルである。息子の昼寝時間約40分を練習時間にして二期会に行ったものであるが、いや、しかし本質的にやるのはこんな世帯じみた感覚ではダメだ!と毎度思いながら、それでも続行は力である。清濁併せ呑むというか、なんでもそこらのもの掴んでやってきた感じである。出来るようになってやるのではなく、やりながら出来るようにする。
もう難しく考えるのはよそう。人生は医療が進んだからか、栄養状態が良いからか、あり得ないほど長くなった。うたはある程度苦しんできたので、この先も楽しく苦しめそうだが、そうそう、忘れてたわけではないが、ずっと封印していたピアノってものもあったわよね。これはダメすぎて蔵に収めっぱなしだったが気にはなっていたのだ。
で、今回35年ぶりに人前で演奏。
少なくともこの3ヶ月結構練習したと言うのに「あんなもん」です。すぐ成就する事はつまりません。つれなくされるとやめられなくなるものです。
終わってから打ち上げもできないので、娘と会場下のイタメシやで惣菜買い込んで家で打ち上げ。撮ってた録音をステレオに繋ぐとまあまあいいではないか。とりあえず次回の私のピアノのレッスンは娘に譲る。その幻想即興曲はとても教えられないし、私もここからは少しうたをうたわねば。
次回6月24日トリフォニー発表会は「夕鶴」やろうと思っているので。昔、そのトリフォニーで友人の下手な「夕鶴」聞いてるので、どんなもんだかやってみたいだけなんだけど。
ここ3ヶ月、ピアノの練習ばっかりしてたので、小池の推奨する3日にいっぺんの外出だった。