母が逝去して2ヶ月。49日も昨日終わらせ、もうついでに先週までに大掃除もほぼ終わらせ、後はゆっくりと師走を過ごせるのである。
人は死ぬね。そして生き様などという言葉は「かなりな生き方」をした人に相応しく、市井の小市民には似つかわしく無いように思うのだが、死に様というのはあるね。迷惑をかけないとかどうでもいいが、それも含めて死に様というのはある。
物を食べない!と決めて何持って行っても一口も食べないという意志が強く、食べなければ死ぬのだから、そうか死時を察したということなのだと思った。猫でもそうだって言う。そういうセンスが狂ってないところがこの人らしかったし、それを余計な医療行為で無にしたくなかったので、3週間水の点滴だけしていた。
時々うっすら意識が戻ったときにいろいろ詫びたが、子どもというものはいつも前向いて「正しく」生きていかなくてはならず、それは親子関係という装置に初めから組み込まれているんで、こうして私はそれを全うしておりますですよ、ずっと先を歩いてちょっとの隙に後ろを振り返る。お母さんはどこだろう?手を振るくらいしか子どもはできないとして、手を振る。
中学くらいから私の言ってることはほぼ理解できなかったんじゃないかな。わかりやすい日常会話が時間の無駄に思えたことなんかが申し訳ないが、またそうやって旦那の力に頼って生きてく様が私にはカッコ悪く見えたものだが、
人は一つだけ持っている「資格」で生きていくね。
医師国家資格とか調理師免許とかそういう外側のでなくね。生まれたときに添付された命式のようなもので、そういう意味では皆人生全う出来る様に仕組まれてるのかもしれない。
その「資格」はきっと死ぬ遠因にもなっているのだろう。
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49日の会食はまだ残っている親戚のおばさんたち3名、今回のことで会ってすっかり仲良くなっていた。祖父は腕のいい鼈甲職人、深川区。しかし宵越しの金は持たない落語の登場人物的人間、みんなこの人のもとで苦労したが、その後宝くじ当ててその資金で店を開いた人、発明で大当たりしその後韓国に会社出して失敗した人など、まあまあ素晴らしく「個性的」であり話が面白すぎる・・宝槻の方だって変な人が多いというのに、母方もこれかよ。
またみんなで会うことにする。