母と娘の葛藤、というようなテーマで再来年公開の映画にコーラス指導の先生役で出た。一瞬だけど。
石田えりと井上真央が母子。
石田えりさんは私と同じ学年だというのに、綺麗であったよね。あんな60になりたいですよ。しかし「遠雷」とか出てるんだしね。本当の女優だわ。
立松和平「遠雷」「春雷」あともう一つあったが、本当の文学だ。
郊外がどんどん宅地開発されていく中で、その土地を売ってしまった農民の話だが、東電福島原発もそうだが、そこ全部オペラ「夕鶴」だからね。
つまり「生業」を金に奪取されてしまう人々の悲しさ、滑稽、恍惚、不安、・・
私は本日の金相場と千代田区文京区のマンションの価格をチェックする「つう」である。
もう純粋な「つう」などどこにもいないわ。どっか惣どで運ずで与ひょうで、つう。
少しでも年金が高いといいと計算し、うざい旦那と別れもせず、自分のガラクタをメルカリで売り、またつまんない幻想を金で買わされ、そしてやはり「自分の生業」を大事にしているつう。
全部は「つう」にひっつく形容詞なのであるから、私はつう、なのである。
このトンチンカンなイノセントなセルフイメージは女子が持ちがちだが、重い荷物が持てないからって、弱いわけではないし、女はみんな嘘つきだ、みたいなことを言って炎上している人がいるが、正確では無い。
嘘つきな上にその嘘を自分にもつき続けられる怪物である。
自分に嘘をつき続けられない女は正確には女でないか、女のまがい者であるね。
女の失敗作というか、ジェンダーフリーというか、ビヨンドジェンダーというか、おじさんおばさん、というか、バッタ品というか、ま、人間であるね。
ジェンダーイリュージョンを使わないで素手で勝負!などというのはもう初めからそれを捨てざるおえない女、と決まっていたが、え?嘘?な人でも女は働かないで食ってくことができる珍しい生物である。騙し脅しであるっちゃそうだが、大事なのはまず自分が騙せないようでは何も始まらないということであるね。
もう11月では解消しようとしてるが、また少しの間ししろー(元旦那ね)と暮らしてるか、我らほんと男としても女としてもなっとらんダメダメ夫婦であったね。男だ女だ、夫だ主婦だ、姓名なんかも夫の方に変えちゃったり、籍だなんだ、と我らのようなハズレ者には何もかもがしっくり来ないものだったが、未だ互いに自分は悪くないと思っているところが滑稽。
でも「結婚」などそのうち田舎にしか残らない習慣になるかもしれない。実際教室の生徒の多数は未婚か離婚。
その制度に頼っているうちは少子化は救えないと思うが。
全員国民は平等に働くこととして、平等に課税して子どもを持つ者にはベーシックインカムを子供が18歳になるまで与えるというのはどうでしょう?女は女の男は男の「嘘」から解放される。
そうしたなら、あと2人くらい子供が欲しかったな。違う父親の。尊敬してやまないピアニストアルゲリッチのようにね。最近のアルゲリッチに似てると言われるが。ピアノじゃなく顔が。