電車に乗りたくて(ただいま電車通勤者がいない家になってます。母は宅老、ししろーは宅籠城、娘は宅労、息子は宅浪(だったりしたら面白かったんですが、すいませんね、先週卒業した上に来月から大学院。でも徒歩)で、私も宅労、時たま近所で労働。
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で福島へ行った
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行きも帰りもグリーン(海外旅行に行くよりは安いさ)であるが、なんと私の知らない間にグランクラス、とかいうグリーン以上なものが出来たようなのである。そこはきれいなおねいさんが接客してくれるそうだが、そんな車内キャバクラなようなものはいらん!何のためなんだろうか?車内ヒエラルキーをこまかくするより、もう少し全体の電車賃は安くならないものであろうか?でも基本新幹線は旅情がありません。時間があれば青春18きっぷで鈍行乗り継ぎながら旅行に行きたい私です。大体新幹線のような異常な速度は人の身に余る。ましてリニア?いらないいらない。そこ速くしても余った時間で何もできない。それはゴミみたいな時間です。旅行なんか「過程」でしかないんですから、そこ引き延ばさないと。早く現地について何かできるかって、それは仕事の発想。じゃビジネスマンは速い方がいいか?それこそ遅い方がいいでしょ、速いのがいいのは会社の意志。大阪出張に日帰りさせられた上にその後も働くとはナンセンス。馬とかで行くとしたら10日くらいかかるし、現地に行ったとき何するんだか目的を失う、ってくらいの(仕事なんかそのくらいでいい)雨降って軒で休んでいるときに優しい娘さんに手ぬぐいを差し出されて、後日お礼のお手紙を書くとかさ。そんな情緒、でもされど。それほど人生は長くはない。矛盾するが短くない。
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そこ「はしょったら」その先にうんと余った時間を「老人施設」で暮らさなければならないよ。
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人生は「過程」でしかない。であるから
効率よくやりたいなら「家庭」など作らなくてもよい。うまいな、我
婚活サイト「フィガロの結婚」をよろしく
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「家庭」など、東海道五十三次のよう。私で言うなら弥次喜多道中だわ。
そんな道中にきびきびやり手!とか語義矛盾だが、今日も旅籠が取れなかったよ、みよちゃん、今日も野宿だ、という毎日だと寿命も縮みますわな。でもそれはそんな奴と道中行くことにしたんだから仕方ありませんわな(なあきらめが肝心なんでしょうな)
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じゃ、結婚もせず子供もいないなどという極めて「効率のいい」人生は一体どうなのよ。そういう人生送るって、なにか「負い目」のようなもの感じてると思うが、そんな必要はないと思う
この日本今時「標準家庭」(両親と子ども2人)などというものはむしろ少数派で、単身(老若男女)が多数。
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でも私が違和感に感じるのは唯一その「効率」の良さ。めんどくさいんだよ人生わ、すっきりいかないんだよ人生わ、時間は自分のために使ったとき一番「ためにならん」のだわ。だから特殊な才能でもないなら「家族」作ってるのが順当。それやめてなおかつ己から湧き出るパワーなどほとんどの人にないはずと思う。
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もう速いとか効率とかくだらん。声楽なんか半音上げるのに、毎日ああでもないこうでもないと20年もかかっており、そんなのこうやってこうやればこうなるでしょ、なんてことが一切ないことだけが20年でよくわかったわ。才能がない?ふん、くそくらえ、どこに生まれるか何が与えられるか何も選べない中で人は生まれ、そこ元手に生きていくしかないんですよ。与えられたものを大事にそしてたゆまず付き合っていくしかない。
なにか自分は「選ばれしもの」だと信じられる右翼思想がわからないのはそこだわ。「その国」だろうが「どの国」だろうが、「あなた」に選択の余地などなかったはずではないか?
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たまたま落ちてきた今いるここ、そして私に、なんの「意味」もないと思う、私は
だからこそそれを生きるに値すると思う、だからこそそこに創意工夫と努力が活かせる。
「たまたま落ちてきたところそれ自体」にこそ意味があると思う人がいるのもわかるが、その想像力のなさはなにか?
自分の体をよく知り、むしろ他者をしれよ、例えば明日足でもくじいてみ、少しはわかるよ。でもくじかなくてもわからないと、人はずっと足をくじいてなくてはならない。
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あべちん・・夫婦っていいよな、似たもの夫婦、そしてなぜか子供のいない夫婦って仲良し、正反合の反がない感じ。だから合もないとかいえるのか言えないのか、
短期的にはまだよくわからないわ。子孫をの残すって事業として大きすぎるので、当事者には全容がわからない。「合」なんか実感できない、朝のNHK(受信料払ってます)のラジオのお便りのような、孫の小学卒業式を寿ぐ、一年生の時は学校へ行きたがらなくて大変でした、さくらの時期になると思いだします、娘の時も思えば同じでした、の心労、そして桜の花と共に「ああ、本当にきれいだよね」というゆえの喜び、しかしまた中学で不登校になるかもよ、桜の時期は危ない。だからこそ「心を込めて赤飯をたく」くらいしかできないんだよ。
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工学学士になられた息子に言わせると、「エコおばさん」の意見はわかる、安全じゃない原子力もなにもいらないという意見もわかる、でもその前にそれなら全員一致の「価値観を変える」をやらんといけない。それは皆で日々蓄電やら自然エネルギーやらいろいろの研究はやりますよ、頭脳結集させて深夜までやってますよ、しかし「電力の基本は安定供給である」のであるから、午後5時からしか電気がつかないような昔に戻る価値観でやるというならともかく、ここまで「欲望」を拡張させてしまって、(そんな「欲望」というほどのものじゃなかったと思うよ。冬でもイチゴが食べられるとかさ、なんか彼氏とクリスマスにイルミネーション見に行くとかさ、2時間で仙台に行けるとかさ)さあ、それらを「我慢」して、あるいは「我慢しない」で、その先の「価値観」に方向転換するのかしないのか?
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経済成長をガンガンやらないと気が済まないのが「国」の意志なのか?じゃ毎日バイアグラがいるわな、もう国自体が老体ですからな、副作用があろうが「たつ」ためにカンフル剤を発動、まあ副作用が少なくて良く長く効く製薬の開発をするというのがまっとうな道だろう。
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福島駅で仙台に帰ってたししろーと1日ぶりで会う。
福島歴史資料館で宝槻の家系の資料を見てから、その祖先の住む立子山に行きたかったが、タイムアップ、そこは飯館村などもそう遠くない地域だが
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「玩具と引き換えに都市が沈む」キリンジ 「玩具」、一体だれがいつどんな遊びで使っているんだろうか「その玩具」は。
タクシーの運ちゃんがいってたが、会津のほうの作物も売れないって、そこ「遠い」んではないかい?仕方ないよ、中学受験した人しか日本の地図なんか習わないからね。消費者なんかじっくり見ないからね、フクシマ→ダメ。でしょう。