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| 1961年 6月17日 東京都小金井市の団地で生まれる |
| 3歳 |
ピアノ始める
この頃 父親が失業中だったので、ほとんど一日中家におり、ベートーヴェンばかり聞いていたので、こちらも家庭内感染。
幼児なのにベートーヴェン・フリーク。 |
| 4歳 |
ピアノの発表会で初めて人前でうたう。うたデビュー。
この時から先生を含め皆のゆるぎない「オンチ」であるという評価は23歳まで変わらなかった。 |
| もんしろ蝶々のゆうびんやさん サトウハチロー作詞 中田喜直 作曲 |
| 6歳 |
小学校入学
当然、音楽の授業に歌唱はあったが、ピアノの弾けない担任に代わって、授業では毎回ピアノを弾いていたので、うたった記憶なし。 |
| 10歳 |
少しずつ勉強は下降線であったので、練習は嫌いだったが、
「ピアノの弾ける子」と言うことで一命を取り止めていた。 |
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| 13歳 |
勉強は完全にやめた。
ビートルズに熱狂していた。
その後パープル、ツェッペリン等のハードロックに移行、ピアノでぽつぽつコピーなどしていた。
大音量で聞きす ぎて、 いつも「キーン」と耳鳴りがしていた。 |
| 15歳 |
プログレッシヴ・ロックというものに心酔。
その後ジャズ等の音楽に興味を持つきっかけに。
特に EL & P というグループのキーボード キース・エマーソンに憧れ、将来は彼のようにではなく「彼になりたい」とすら思っていた。
彼は高校卒業した後昼間は銀行で働き、夜クラブでピアノを弾いていたという経歴があるのだが、高校卒業したら銀行に就職しようと真剣に思っていた。 |
| 16歳 |
しかし、高校入ったら突然文学少女になってしまい、将来は小説家になろうと思っていた 。
太宰あたりから始め、次第に込み入ったものを読むように。
ピアノはよく練習していたが、うたなど高校 3 年間で 1 回もうたっていないと思う。音楽の授業では口をあけてうたうフリをしていた。
特に合唱が嫌いであった(気持ち悪い詩が多いし) |
| 18歳 |
音大にいったら?という話も無いではなかったが、ソルフェージュ関係に自信がなかったのと、音大は本も読んでないようなバカが行くところという偏見があり、かといって勉強できるわけでなし、自分も充分バカであったがその自覚に乏しかった。
バカをカモフラージュするために哲学科にいってドイデでもやろうと思っていたが、試験に通らず、興味の無い社会学部へ。
一年くらい行ったが、それはほとんどがサークル活動であった。 |
| 20歳 |
今で言う「プー」であり、家にいたので「ひきこもり」であった。
読書とピアノの練習に逃げていたような気がするが、とにかくよく読みよく弾いていたと思う。 |
| 21歳 |
たまたまついた近所のピアノの先生は破格であった。
ご主人は当時まだ駆け出しの指揮者で熱が入ると Bach 「イタリアン・コンチェルト」 3 時間レッスンなどという日もあった。
一気にクラシック熱は高まり。奥様はかなり「振り切ってしまった」方で、パリのコンバトまでお出になったのに、当時クリーニング屋でバイトしていた。
しかしそのピアノは天才の音であった。初めて接する「真の芸術家」であった。レッスンが苦手な夫人に代わり、ピアノの代行レッスンなどしていたが、この頃音大に行こうと決意。
いまさらピアノ科は無理と言われ、音楽教育科を勧められるが、うたの試験があると聞いて無理だと思った。
でもまあ、ためしに声楽の先生についてご覧と言われついてみたものの、これはますます無理だと確信。 |
Sebben,crudele 「たとえつれなくても」
〜 Caro mio ben 「いとしい女よ」 イタリア古典歌曲より
イタリア歌曲はとても無理だから日本語のうたを情感込めてうたいなさいということになったが、なんとも涙の出るような悲しい曲であった。 |
叱られて 清水かつら 作詞 弘田龍太郎 作曲
さより 北原白秋 作詞 團伊玖磨 作曲 |
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| 22歳 |
音大になんとか入学
しかし、ここで割り当てられた声楽の担当教官は「細かいこと言ってねえで、とにかく声だせ〜」な指導、呼吸法も何も教えてくれなかったが、声を出して良いという許可をもらった気がする。
彼は 10 時からのレッスンは 3 回に 1 回くらいしか来ないし(二日酔い)いい加減なところもあったが、それが良かった。
「カバリエのまねでヴェルディ」なども面白がって聞いてくれたし、うたうことが初めて楽しいと思えたのも彼のおかげである。 |
In solitaria stanza 「 独り孤独な部屋で」 Verdi
この時、友人何人から感動したと言われ、 もしかして自分も「歌えるのかな ? 」と思った。 |
| 26歳 |
音大卒業はイコール失業である。
まわりもほとんどはそうであるので気にもならなかった。でもまた「プー」になるのもなんだったので、主婦になって堂々と「プー」になろうなどという曲がった考えから結婚してしまったが、相手が学生で貧乏だったので働くことになってしまった。
初めて事務と言う仕事をしてみたが、それは周囲を恐怖に陥れるほどの出来なさ加減であった。
ピアノもうたも今ひとつであった私だが、まだ出来る部類のことだった事を思い知る。 |
| 28歳 |
第一子誕生
この第一子を育てる期間と、自分がその先うたと格闘していく時期が重なっているのでこの子は完全に音楽まみれな毎日であったろう。
その後ずっと経ってから、とうとう自分もやると言い出した。
それは私が椅子ごと蹴り飛ばして教えたピアノでも私のやっていたうたでもなく、私の口の出せない「フルート」であった。
やられたな、と思った。 |
愛の挨拶 Elgar
私のお気に入り Rodgers
すてきな春に 峯 陽 作詞 小林秀雄 作曲
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| 33歳 |
第二子誕生
子どもを公園に連れて行くだけの生活。
子どもに聞かせるためということで、いろいろな童謡の CD を探すが、恐ろしくくだらないものが多かった。
仕方ないので自分でうたったりするうち、唱歌や中田喜直、湯山昭などを多く聞くように。今まであまりなじみの無いジャンルであったが。 |
早春賦 古丸一唱 作詞 中田 章 作曲
浜千鳥 鹿島鳴秋 作詞 弘田龍太郎 作曲
小さい秋みつけた サトウハチロー作詞 中田喜直 作曲
雪の降る街を 内村直也 作詞 中田喜直 作曲
もう半端でなく退屈。子どもが嫌いなんではなく、この「安定」した生活に耐えられなかった。
そんな時に音大時代の友達が何人かでコンサートするが出ないかと誘われ、とにかく藁をもつかむ気持ちで第 1 弾コンサート。
もうとてもピアノなど弾けないと思い、そういえば「うたなんか簡単だったな」と「うた」を思い出す。
このとき 6 曲うたったが、これほど勉強したコンサートは後にも先にも無いと思う。
またはじめに習った先生の下で修行し直す。 |
| 34歳 |
自主的にコンサートで 2 , 3 曲うたう、ということを続ける。
先生から二期会に行ってみたらと勧められる。
そんなうた自慢な人の集まるところに行くのはとても気が引けたが、とりあえず生活に目標が出来て楽しかった。
一年目、二次試験でアクート失敗。落ちる。 |
オペラ「トスカ」より
Vissi darte 、 vissi damore 「うたに生き恋に生き」 Puccini |
| 35歳 |
また 1 年修行。よく練習していたと思う。 2 年目で二期会合格。 |
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オペラ「トゥーランドット」より
Tu che di gel sei cinta 「氷のような姫君の心も」 Puccini
初めて取り組んだオペラは「フィガロの結婚」であったが、その内容の奇想天外に驚く。しかしこの時嫌々やっていた中山テイイチ訳の日本語版は、今思えばよく出来ていた。難しいことをやっていることをひけらかすのがオペラではなく、どこまでも理解でき、面白いと言うことの重要性について学んだと思う。
オペラ「フィガロの結婚」より三重唱〜スザンナ出ておいで Mozart
「コシ・ファン」「ドン・ジョバンニ」で 1 年間。この 3 作は基礎であるが、どこまでやってもやりつくせないほど深い。
子持ちで二期会に来る人は少ないので、クラスでは「ママ」と呼ばれていた。
試験前は自主的にホールを借りてコンサートしたりの主催を良くやったものです。
2年目はベルカントものやらいろいろやったが、中でも「夕鶴」は非常によく勉強したと思う。 |
| 37歳 |
二期会は出たものの、よほど成績が良くない限り仕事など来ない。
でもラッキーだったのは、当時たまたま二期会が進めていたプロジェクトに乗り、「二期会マミーシンガーズ」というグループのリーダーに指名されたこと。
初めてうたでお金を頂く、と言う活動を有志10名とすったもんだでスタートさせる。大変なことも多かったが、良いメンバーに助けられ何とか続いている。
マミーはどこへでも出かけゲリラ的ライブをして行こうといううた集団。
縮小版ヘンゼルとグレーテル38分とかフィガロ60分など画期的企画でもって幼稚園、公民館、小学校、お寺のお堂などという所でも歌った。
人(それも幼児だったり)に解りやすく何かを伝えていくということは、クラシックの人々が忘れがちなところだが、それは徹底的にお客さんから学んだ。
子ども、つまんないと泣くし、走るし、ひっくり返るし。 |
| 竹田の子守唄 日本民謡 |
| 47歳 |
さて、今、当声楽教室は行列の出来る声楽教室であり、合唱も 4 つ持って、すっかり「うたで生きうたで喰っている」私である。
でも課題山積。
生徒さんと一緒に学んでいると言うのはキレイ事ではなく、教えられることも沢山です。
カンが良いのか、早く上手くなっていく生徒ばかりで、お願いだから先生を置いていかないでというところでしょうか?とにかく熱心。
ここから生徒有志コーナー。 |
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オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」より二重唱〜ねえ見てよほら Mozart
オペラ「愛の妙薬」より二重唱〜なんと言う愛情! Donizetti
本郷 3 丁目ライブハウス「 Gout 」では 2 ヶ月に 1 回くらいのペースで歌っていくことを今年からの課題にしています。
作曲家 原由利子さんとの出会いなくして実現しなかった企画ですが、クラシックを少しアレンジしてもらったり、実験的なことをやって行きたいと思っています。
本日は誠にご拝読ご拝聴に感謝です。これからもよろしくお願いします。
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Piacer damor 「 愛の喜び」 イタリア古典歌曲
Aprile 「 四月」 Tosti |
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